2026年10月1日に改正労働施策総合推進法が施行され、カスハラ対策が事業者に義務付けられた。
不当なハラスメントから労働者を守るためのリスクマネジメントの対策強化は、事業者の責務であるとともに、介護経営の柱であるともいえる。
厚労省も、介護現場におけるハラスメント対策として、ホームページに様々な事例を挙げて、マニュアルや考え方について情報提供を行っている。ご一読いただきたいと思うが、懇切丁寧な割には経営的、実務的には、ピントがずれている。 (リンク 介護現場におけるハラスメント対策 厚労省)
介護サービス事業におけるカスハラ対策は、リスクマネジメントの一つだが、今回、法制化されたカスハラ対策とリスクマネジメントは、相違する部分も大きい。
ここでは、介護業界の採るべき、カスハラ対策の基本的な考え方について考察する。
カスタマーハラスメントとは何か
カスタマーハラスメントとは何か、それは法律で以下のように定義されている。
① 顧客等の言動であって、 ② その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたものにより、 ③ 労働者の就業環境が害されるもの であり、①~③の要素を全て満たすものを言う。
では、事業者が対応すべきカスハラとは、実際の介護現場では、どのような行為を指すのだろう。
それは大きく二つにわかれる。
【言動の内容が社会通念上許容される範囲を超えるもの】
・ そもそも要求に理由がない又は商品・サービス等と全く関係のない要求
・ 契約等により想定しているサービスを著しく超える要求
・ 対応が著しく困難な又は対応が不可能な要求
・ 不当な損害賠償要求
訪問介護で問題となっている、本人の生活支援に関係のない家族の部屋や庭の掃除、「ついでに…」と頼まれる買い物などが挙げられる。以前、ショートステイ利用者の中に、大量の衣装を持ち込み、「一日目はあのワンピース、二日目はこのスカートで…」「毎朝、髪の毛をドライヤーできれいにカールして…」「お化粧もさせて…」と依頼される家族(ご本人は認知症)がいた。最初は現場の好意で受けていたが、次第にエスカレートするにつれ、対応しきれないとして一部改善を求めたが、それが気に入らなかったようで、行政にクレームを入れるなど大騒ぎになった。
朝の忙しい時間帯に、限られた人材でできることは限られている。どこまでできるかは、事業者の職員体制にもよるが、いまの基準で言えば、これもカスハラになるだろうか。
その他、事故、トラブル発生時の不当な金銭要求、慰謝料の要求なども該当する。
もちろん、これは、利用者・家族には損害賠償請求権がないというものではない。転倒・骨折などの事故で、事業者側に過失がある場合、賠償を求められる可能性はある。話し合いが決裂した場合、穏やかに「要求には答えられないので、どうぞ訴えてください」と民事裁判を勧めると良いだろう。
【手段や態様が社会通念上許容される範囲を超えるもの】
・ 身体的な攻撃(暴行、傷害等)
・ 精神的な攻撃(脅迫、中傷、名誉毀損、侮辱、暴言、土下座の強要等)
・ 威圧的な言動
・ 継続的、執拗な言動
・ 拘束的な言動(不退去、居座り、監禁)
これは、介護の現場ではかなり多い。
スタッフに対する暴言や暴行のほか、威圧的な言動、土下座の強要なども、カスハラにあたる。本人だけでなく、家族から受ける場合も多く、訪問介護などでは、お尻を触られた、意味なく抱き着かれたなどの痴漢行為も発生している。
ここで問題となるのが、認知症高齢者の取り扱いだ。
厚労省のマニュアルでは、繰り返し「認知症高齢者による暴言や暴行その他の行為はカスハラの対象外」としている。恐らく認知症家族の団体に配慮したものだと考えられるが、これは全くの間違いだ。
このカスハラ対策は、働いている介護スタッフを守るための対策であり、それを行う対象者の事情は関知していない。現場のスタッフの受けるストレス、被害は同じであり、「同じ暴力、痴漢行為でも認知症高齢者によるものは対象外」となるはずがない。そもそも、カスハラに60代、70代が多いのは、状況判断や感情のコントロールができないなどの認知機能の低下が関係していると言われている。
コンビニやファミレスでも、「暴言や暴行を働いている人が認知症だとわかれば対応できない」というものではないだろう。法律上、それをカスハラと呼ぶかどうかは別にしても、家族への連絡、相談など、事業者がやるべき対策は変わらない。言葉のイメージだけで、「認知症は対象外」とするのはあまりにナンセンスだ。
カスハラ防止のためにすべき処置
今回の改正労働施策総合推進法においては、「労働者を守るために事業者が採るべき施策」(カスハラ対策)として次の事項が挙げられている。
◆ 事業主の方針等の明確化及びその周知・啓発
① 毅然とした態度で対応し、労働者を保護する旨の方針を明確化し、労働者に周知・啓発する
② カスハラの内容及びあらかじめ定めた対処の内容を、労働者に周知する
◆ 労働者からの相談体制の整備
③ 相談窓口をあらかじめ定め、労働者に周知する
④ 相談窓口担当者が、適切に対応できるようにする
◆ 事後の迅速かつ適切な対応
⑤ 事実関係を迅速かつ正確に確認する
⑥ 被害者に対する配慮のための措置を行う
⑦ 再発防止に向けた措置を講ずる
◆ 対応の実効性を確保するために必要なカスタマーハラスメントの抑止のための措置
⑧ 特に悪質と考えられるカスタマーハラスメントへの対処の方針をあらかじめ定め、労働者に周知 し、当該対処を行うことができる体制を整備する
◆ そのほか併せて講ずべき措置
⑨ 相談者等のプライバシーを保護するために必要な措置を講じ、労働者に周知する
⑩ 相談したこと等を理由として不利益な取扱いをされない旨を定め、労働者に周知・啓発する
最近では、コンビニ、ファミレス、居酒屋の他、区役所などでも、「カスハラ STOP」という啓蒙ポスターが貼ってある。ご覧になった方も多いだろう。大手のチェーン店では、相談窓口の設置や、店長を対象とした事例検討や研修会が行われていると聞く。
同じように、介護サービス事業所でも、ポスターを作って、勉強会をして、相談窓口を設置して…、と考えている人が多いかもしれないが、これらの方針は、「意味がない」とまではいわないけれど、介護業界のカスハラ対策、リスクマネジメントとしては片手落ちで、効果は薄い。
それは、改正労働施策推進法に基づくカスハラ対策は、「カスハラを受けた時にどうするか」が主眼であるが、介護のリスクマネジメントにおいては、「カスハラを起こさせないためにどうするか…」の方が重要であり、効果的だからだ。
カスハラ対策とリスクマネジメントの違い
この労働施策推進法に基づく「カスハラ対策」は、介護サービス事業における「リスクマネジメント」の一部ではあるが、厚労省が介護事業者向けに示しているマニュアルだけでは、対策の効果は薄い。
それは、今回のカスハラ対策は、原則として、飲食店やコンビニ、スーパーなど、事前の個別契約基づかない不特定多数の顧客に対する、サービス提供を目的とした事業を対象としたものだからだ。この場合、どこまでのサービスを要求しているのか、どのような性格、人格の人なのかは、事前には全くわからないため、問題が起きた時への対策、対応力を強化するしか方法はない。これは病院も同じ。特に、医療機関は、医師法によって原則として診療拒否、入院拒否が認められていない。
厚労省の資料、マニュアルもそれに準拠するような形でつくられている。
しかし、介護サービス事業は、事前の個別契約に基づく、契約した利用者・入所者のみを対象とした事業だ。つまり、不特定多数への啓もう活動ではなく、「どこまでがサービスの範囲なのか」「何が禁止行為なのか」「どのような場合に契約解除となるのか」は、利用者・家族との間で事前に取り決めをして、説明し契約をする機会が与えられているのだ。そこで、サービス内容や禁止事項が合意できない場合は、その人を顧客、利用者とする必要がないのだ。
この違いは、カスハラ、リスクマネジメントの対策実務を考える上で、非常に大きい。
一般事業や医療機関の場合には、どんな人が来るのかわからないため、事前にカスハラを予防することは困難で、発生したときに、後追いで対策を講じるしかない。一方、介護サービス事業は、その対象を限定させ、その対策を想定し、契約で取り決めするなど、発生する前に、こちらが優位になるよう法律的にグリップすることが可能であり、それこそが対策の本質なのだ。
そのポイントは三つある。
① 事前契約・事前説明
特養ホームの場合、入所契約書・重要事項説明書で、サービスの提供内容、利用料金の支払い義務、契約解除(退所)の条件、事故発生時の対応など、事業者と利用者の間の権利と義務が法的に定められている。「ご本人だけでなく、ご家族も暴力・暴言、土下座の強要などは、即契約解除、退所要件となります」「サービスの不満・苦情の申し出は、忙しい勤務中のスタッフにではなく管理者に直接お願いします」「園内での録画・録音は事前に申し出をお願いします」など、きちんと説明すればよい。契約書や重要事項説明書に書いておくこともできるため、契約不履行として契約解除を申し出ることができる。
もう一つは、ケアプランの契約。
このケアプランの中で、個別の要介護状態に合わせて、どこまでがサービスの範囲なのか、どのような事故のリスクがあるのか、それに対してどのような対応をするのかだけでなく、「転倒、誤嚥など生活上の事故を完全に防ぐことはできない」ということを丁寧に説明し、その文言も含め契約する。「予見可能性」などという言葉があるが、認知症高齢者の事故など、予測できない行為をすべて予見して対応しろということ自体がナンセンスだ。逆の「絶対に事故を起こすな、施設内で起きた事故はすべて事業者の責任だ」というのであれば、契約できないのだ。

② 対象者・家族の見極め
二つ目は、対象者・家族の見極め。
「事故リスクの高い高齢者、認知症高齢者は敬遠したい」という事業者があるが、それでは介護事業者の責務を果たすことはできない。そこで重要になるのが家族の見極めだ。
家族の役割は、リスクマネジメント上も、重要なものだ。
ただ、「見学時に説明者から離れて勝手に園内を歩き回る」 「説明しても、まじめに聞いていない、興味がない」などのいい加減な家族ほど、転倒、骨折があった場合、「賠償しろ」「事業者の責任だ」などと、トラブルとなる可能性が高い。契約には「複数人の保証人・家族が必要」だと考えている人が多いが、行政サービスを使えば、保証人がいなくてもできることはたくさんある。信頼関係が構築できない、無理難題を言ってくるような家族・保証人であれば、いないほうがましだ。
③ 普段からの家族とのコミュニケーション
三つ目は、普段からの家族とのコミュニケーションだ。
家族と感情的なトラブルになるのは、「部屋が汚れている」「いつも同じ服を着ている」など小さな不満が蓄積して、事故発生時に爆発するからだ。これを防ぐには、定期的に、管理者が家族との個別面談をして、人間関係を構築しておかなければならない。「細かいことを気にする家族だな…」「不満がありそうだな…」という場合は、お帰りのときに「施設長室でお茶でもどうですか…」と誘ってみるのがよい。人間関係ができていれば、転倒・骨折事故が起きても、もし仮に、一部スタッフの過失があったとしても、それが感情的なクレームや裁判になることは少ない。
これら三つの対策は、施設・住宅系だけでなく、通所・訪問系でも考え方は同じだ。
カスハラの原因になるのは、普段からの事業者、スタッフに対する不信・不満だ。
サービスに対する事業者の理解と、利用者・家族との認識に齟齬があるため、カスハラを含む感情的なトラブルになるのだ。 ほとんどの高齢者、家族は、介護サービスを利用したり、老人ホームに入所するのは初めての経験であり、かつ転倒骨折事故やトラブルが発生しやすい事業であることから、リスクマネジメントは、「事故やカスハラが発生した時」ではなく、事前説明や契約、信頼関係の構築が、その対策の八割を占めると言っても過言ではない。 その認識のズレを埋める責任は、事業者にあるのだ。
発生時対応だけでは、片手落ちだと言った意味がわかるだろう。介護サービス事業の場合、この改正労働施策総合推進法に基づいて、「カスハラ発生時の対応力の強化」を行っても、その効果は限定的で、ほとんど効果はないのだ。
これら三つの対策は、各現場で行うべきものだが、いずれもマニュアル化することは可能だ。
マニュアルといえば、パソコンや電化製品についてくるような分厚いマニュアル本をイメージする人が多いが、そんなものは何の役にも立たない。「いま介護現場で起きていること…」「どのような事例を取り上げるのか…」「注意すべき家族の特徴」などを、それぞれ五項目~八項目くらい箇条書きにしておけば、それだけで十分だ。
①の説明、契約は、パワーポイントで資料を作って、それを一緒に見ながら説明・契約するということでもよいだろう。通所介護でも、訪問介護でも、同じだ。大きな見やすい資料があれば、文字面を読むよりも、高齢の利用者・家族に伝わりやすいだろう。
これを作るのは、各事業所ではなく、経営者、もしくは本部の仕事である。
(リンク 介護経営の組織論 Ⅱ ~本部機能の強化~ 参照)
そうすれば、カスハラやクレームが発生しても、その法的なグリップはこちらにある。「すぐに退去、レッドカード」でなくても、グリップの範囲内で、家族や利用者と話ができる。
「カスハラでスタッフが可哀そう、家族が悪い‥」ではなく、それを防ぐために、できることはたくさんある。そうすれば、各現場の介護看護スタッフも余裕がある対応ができるのだ。


























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