政府は2日、単純労働を含む外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法改正案を閣議決定した。人手不足の分野で一定の技能を持つ人を対象に新たな在留資格「特定技能」を来年4月に創設する。経済界の要望に応じ、これまで認めてこなかった単純労働受け入れにカジを切った。日本の入国管理政策の大きな転換で、政府与党は今国会での成立をめざす。
日経 ~入管法改正案を閣議決定、単純労働で外国人受け入れへ~
(2018/11/2)
「入管法改正」については、治安悪化、外国人労働者に対する労働環境、社会保障整備など、様々な観点から国会での議論がスタートしています。少子高齢化、労働人口減少が進む日本の移民政策・労働政策の大転換にもなりかねない難しい課題であるにもかかわらず、議論を聞いていると「人材不足なのでとりあえず…」「やってみてダメだったら見直せば…」という場当たり的で、安直なイメージは拭えません。
ただ、今回の改正案をみて直観的に感じたのは「厚労省は、高齢者介護を『単純労働』だと思っていたんだな…」ということです。
介護は単純労働なのか・・・
「介護は、オムツ換えたり、ご飯食べさせたりすることだよね」
「家族でもできるんだから、専門的な技術や知識はそれほど高くないよね」
「必要なのは、知識や技術よりもやる気だよね」
このコラムを読んでいる人の中にも、そう思っている人が、いるかもしれません。
テレビや新聞の介護労働者不足の特集を見ていても、「身体的にも大変で、排泄介助など汚い仕事なのに、給与が安くて大変」という表面的なイメージを語るものがほとんどですし、介護業界の経営者だけでなく、実際の介護スタッフと話をしていても、同じように感じている人が多いと感じます。
「介護は単純労働か否か・・」は、時代背景や事業所のとらえ方によって違います。
例えば、20年前までの「老人福祉」の時代の特養ホームや老人病院では、午前5時、午前9時、午後1時など、時間を定めての一斉排泄介助でした。現在の大手の介護付有料老人ホームでも「夜勤帯のオムツ交換は一時間に10人は可能」というマニュアルのところがあります。このような介助を行っているところでは、高齢者介護は「一時間に10個の部品を作る」「一時間に10の部屋の掃除をする」と同じレベルの、機械的な流れ作業・単純労働として理解されていることがわかります。
この「機械的・単純労働の介護」の対称にあるのが、専門的なサービスとしての介護です。
老人ホームに入居する高齢者の「排泄介助」を例に挙げてみましょう。
排泄は、日常生活行動の中核であると同時に、人間の尊厳や自立生活の根幹にかかわる行為ですから、高齢者一人一人の要介護状態や希望に合わせて慎重に排泄方法を検討しなければなりません。
その基礎となるのが、ケアマネジメントです。
アセスメントを通じて、現在どのような排泄を行っているのかを確認するとともに、身体機能や尿意便意の有無、転倒リスク等を勘案し、本人や家族の意見を聞きながら、最適な排泄方法を探っていきます。
その上で、ケアプランの中で、
「尿意や便意はあるので、トイレで自立排泄ができるようにしよう」
「排泄の間隔をデータ化し、事前に声掛けをしよう」
「夜間は間に合わない時があるので、念のためリハビリパンツを履いてもらおう」
などの目標、計画を立てて排泄介助を行っていきます。
モニタリングも重要です。
特に、認知症高齢者、重度要介護高齢者は自分の体調の変化を伝えることができませんから、介助時には「尿量」「尿の色」「排便の量」「排便の状態・色」を確認し、日々の健康状態のチェックを行います。「排便が数日間ない」「尿の色が悪い」などの異変がある場合、看護師や医師と連携して、対応を検討しなければなりませんし、身体に発疹がないか、オムツかぶれはないか、床ずれなど予兆はないかといった点も、排泄介助時に確認します。また要介護状態も加齢によって変化しますから、排泄方法やその介助方法に課題がないか、適切なものかを定期的にチェックします。
この専門的な排泄介助を行うためには、移動移乗、排泄の介助技術だけでなく、高齢者の身体状況や認知症などの知識、コミュニケーション技術、食事や栄養管理、転倒や骨折などの事故リスクの予防、対応にかかるノウハウ、感染症や食中毒に関する知識など、高い専門性が必要になります。
介護業界が介護報酬のアップを求めているのは「身体的に大変な仕事だから…」ではありません。
介護報酬は、介護が必要になったときに、専門的な知識や技術、倫理に基づいたプロの介護が受けられるか、それとも「時間通りオムツ変えました。あとは知りません」といった、誰でもできる単純労働の素人介護を受けるのかを決めるものだからです。
将来、自分が認知症や身体が動かなくなった時にも、最後まで自分らしい質の高い生活を営み、質の高い介護を受けたいのであれば、社会としてその手当てをしなければならない、と言っているにすぎません。
外国人介護スタッフの増加によって、事故リスクは激増する
今回の入管法改正では、「介護」のほか、ビルクリーニング、産業機械製造、建設業、自動車整備など、在留資格拡大の対象職種として14の業種が示されています。もちろん、介護以外の業種は「専門的な技術や知識が必要な仕事ではない」「介護を一緒にするな」と言っているのではありません。
しかし、この中で介護が特殊なのは、「法的に高い安全配慮義務が求められる、要介護高齢者に直接触れる対人サービスだ」ということです。
高齢者介護の対象は身体機能の低下した要介護高齢者です。
体幹のバランスや筋力が低下しているために躓きやすく、転倒すれば骨密度の低下により骨折する可能性は高くなります。咀嚼機能や嚥下機能の低下による食事中の誤嚥、窒息も増えます。加齢によって判断力は低下し、認知症の罹患率も増えることから「本人が大丈夫と言ったから」と、適切なケアを行わずに放置すれば重大事故に発展します。「そこのお薬飲ませてください…」と頼まれて、本人の言う通りにした結果、誤薬で急変ということもあります。
そのリスクを負うのは高齢者だけではありません。
一瞬の介助ミスが転倒や溺水、熱傷などの重大事故、死亡事故につながるリスクの高い仕事です。
現在でも、全国で、介助中の頭部打撲による脳出血、入浴中の溺水、熱傷などによって死亡などの重大事故が発生しています。「直接的な介護中の事故」でなくても、骨折や死亡事故が発生すれば、「安全配慮義務違反」として数千万円という高額の損害賠償が請求されますし、「入浴中の溺水」「移動中に転落させて頭部強打」など、介助中に入居者が死亡した場合、介護スタッフが業務上過失致死で書類送検されることもあります。
高齢者介護は、知識・技術・資格の有無に関わらず、また日本人か外国人から関わらず、その仕事には重い法的責任がかかってくるのです。
「介護は外国人にはでききない」という単純な話ではありません。
しかし、日本に仕事を求めてやってくる外国人労働者は、無資格、未経験であることに加え、言葉だけでなく、生活上の風習や環境も違います。
日本の高齢者の生活・文化を理解してもらい、ケガや事故がないように安全に介助する最低限の知識や方法を教育、指導するだけで、少なくとも一年以上はかかるでしょう。最初の半年程度は、ベテランの教育スタッフの元で、付き切りで教えることになりますから、介護スタッフ数は増えても、提供できるサービス量としては実質マイナス算定となります。
しかし、そこまで教育に時間や労力をかけられる事業者はそう多くはありません。
逆に、このような制度に飛びつくのは、目先の介護労働者不足に喘いでいる事業者です。
介護労働者不足の原因は「介護報酬が低いこと」だと考えている人が多いのですが、離職率や過不足が二極化していることを考えると、実際は事業者の労働環境に問題があるケースが少なくありません。死亡事故や虐待が発生している事業者の多くは、商品設計そのものに瑕疵があり、介護スタッフが安全に介護できる教育訓練、人員配置、労働環境が整えられていないのです。
その結果、外国人介護労働者は、介護の基礎研修や介護事故に対する教育が行われないまま、一人分の介護職員として、介護の現場で働かされることになります。「言われた通りオムツ交換してればいい」「機械的に入浴の介助をすればよい」と介護を始めた外国人労働者が、何が過失なのかわからないまま、死亡事故が発生すれば刑事罰に問われることになるのです。
このリスクは、外国人介護職員だけではなく、一緒に働く日本人の介護職員にも及びます。
現在の高齢者介護は「チームケア」です。介護スタッフの数だけが増えても、任せられない業務が多くなるため、日本人介護スタッフの負担は増えます。特に、介護スタッフが少なくなる夜勤帯に慣れない外国人介護職員とペアを組んで仕事をするとなると、コミュニケーション不足によって精神的負担、ストレスも増加します。その中で、連絡不足によって骨折や死亡などの重大事故が発生すると、一緒に仕事をしていた介護職員も管理者も、連帯して責任や罪に問われることになります。
まともな、介護スタッフは、そのようなリスクの高い事業所で働きたいとは思わないでしょう。
安易に外国人介護労働者を導入すると、その外国人の増加以上に日本人介護労働者が減少し、結果的に介護労働者不足に拍車をかけることになるのです。
専門性を否定すれば、介護の未来は閉ざされる
最大の問題は、日本人介護スタッフの意欲を奪うということです。
この外国人労働者の問題については「外国人技能実習制度」の時にも「そんなに簡単ではない…」と指摘しましたが、今回の「出入国管理法改正」とは本質的に違います。
外国人技能実習制度も、「技能実習」と「労働者不足」を混同させた二枚舌のザル法であることは間違いありませんが、その理念はまだ「日本の高い介護知識・技術を外国の人にも伝えよう」というものでした。しかし、今回はその建前さえもかなぐり捨てた「知識や技術がなくてもできる機械的な単純労働なんだから、外国人にも助けてもらう」というものです。
政府は、「今後5年の間に、25万人の人材が不足する」と見込んでいますが、人材の過不足は経済の動向によって決まります。消費税アップとオリンピック後の揺り戻しで、この5年以内に景気動向・労働市場は変わるはずです。また、この十数年の内に、今ある仕事の半分程度は、AIやIT、ロボットに代替されるだろうと言われています。
ただ、労働市場が変化しても、産業構造や働き方が変わっても、「責任は重いのに、努力してもその専門性は軽視される」という介護業界に人は戻ってこないでしょう。その結果、介護業界には「介護の専門性を高めたい、介護のプロになりたい」という人ではなく、「他に仕事がないから介護でも」「やっぱり介護は大変だから辞めよ」というアルバイト感覚の労働者ばかりが増えることになります。
それは介護業界内部だけの問題だけではありません。
日本の高齢者介護は「プロによる快適な生活支援」ではなく、「時間通りにオムツ交換したので、あとは知らない」という素人介護のレベルになっていくのです。
現在、多くの介護スタッフは誇りとプロ意識をもって仕事をしています。
専門性を高めより質の高いサービスを提供したい、社会に貢献したいというのがプロの介護スタッフの願いです。だからこそ、不十分な待遇・環境の中でも懸命に頑張っているのです。
実際には「背に腹は代えられない」「スタッフ不足だから仕方ない」と業界内からも歓迎する声は大きいのですが、介護スタッフのプロ意識や誇りを奪いかねない今回の入管法の改正は、介護業界にとってその光を閉ざす大きな暗雲となるような気がして、仕方ありません。
※ 私が介護の仕事の未来についてどう考えているかは、拙著「介護の仕事には未来がないと考えている人へ」で詳しく述べています。よろしければご覧ください。
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