独居後後期高齢者世帯、後後期夫婦世帯の増加、介護期間の長期化、家族介護の限界などが重なり、高齢者住宅の整備が不可欠とされているが、その理由は「需要の増加」だけではない。
【特養ホームからの脱却・役割の明確化】
高齢者住宅の整備が必要な理由、二つ目は「老人福祉施設からの脱却」だ。
介護保険制度がスタートする平成12年まで、高齢者の介護は「老人福祉法」の中で行われており、高齢者の住まいも特別養護老人ホーム、養護老人ホーム、ケアハウス、軽費老人ホームなどの老人福祉施設に限定されてきた。児童福祉法に基づく児童養護施設や、障碍者福祉法に基づく障がい者支援施設と同じ第一種社会福祉事業に属し、その運営は社会福祉法人に限定されている。
いまでも、特養ホームや養護老人ホームは、自宅や民間の高齢者住宅では生活できない、福祉的な支援が必要な高齢者のための施設だとの位置づけられている。ただ、特養ホームは介護保険法の介護保険施設でもあることから、重度要介護高齢者、特に認知症高齢者の住まいとしての役割も大きくなっている。
「要介護高齢者が集まって生活すると介護費用が削減できる」という原則は、高齢者住宅でも老人福祉施設でも変わらない。しかし、実際は「特養ホームにはお金がかかる」との通説の通り、その整備・運営には莫大な社会保障費が投入され、介護保険財政悪化の一因となっている。
それは、「住宅対策」「介護対策」だけでなく、「福祉対策」「低所得者対策」が混在しているからだ。
建設補助、税制優遇などによって、全室個室のユニット型特養ホームは、月額15万円(介護保険一割負担の場合)程度で入所できるが、その隣に同じ基準・サービス機能を持つ介護付有料老人ホームを作れば、その月額費用は30万円と二倍以上になる。その差額が社会保障費で埋められているため、「特養ホームは金がかかる」となるのは当然だ。厚生労働省は「特養ホームの入所者には、在宅で暮らす要介護高齢者よりも、年間180万円の社会保障費が余計にかかっている」と認めている。

介護人材にも介護財政にも、十分に余裕があるのであれば、高齢者住宅の代替施設として、低価格・高サービスの特養ホームを作り続けるというのも一つの方法だろう。しかし、人口動態のアンバランスが拡大、介護に振り分けられる財源や人材の確保が極めて困難であることを考えると、これからも激増をつづける重度要介護高齢者・認知症高齢者の増加に合わせて、特養ホームを作り続けることは不可能だ。
「入所できた人はラッキー、入所できない人は残念」ということでは、福祉施設としての役割さえ果たしておらず、財政・人材活用の公平性や、効率的な運用という側面からも問題は多い。現在のユニット型特養ホームの制度的課題については、次章で詳しく述べるが、応能・応益負担の観点からも、老人福祉施設からの脱却は不可欠だ。
【介護離職の削減・経済と介護の両立】
もう一つは、経済と介護の両立だ。
介護サービスは、「要介護高齢者の生活支援」というだけでなく、要介護の親を抱える家族を支えるという側面が強い。介護サービスを一律に抑制すると、介護離職者が激増、それは経済・社会システムの破綻につながることを述べた。
要支援~要介護2までの軽度要介護で、移動や移乗、排泄などの身の回りのことができる状態であれば、独居であっても訪問介護や通所介護を使って自宅で生活することはできる。しかし、排泄介助を含め生活全般に介護が必要となったり、認知症によって徘徊などの周辺症状(BPSD)が起きれば、介護サービスを利用しても、自宅で生活することは困難になる。それは家族が同居していても同じで、日中はデイサービスを利用していても、夜は家族が排泄介助や見守りをしなければならない。夜中に「トイレに行きたい」と起こされたり、認知症でゴソゴソ起きだされると、ぐっすり眠ることもできない。
その介護期間は、数か月、数年で終わるものではなく、五年、10年と続くケースも少なくない。
先の見えない介護は身体的にも精神的にも相当の負荷、ストレスがかかり、介護虐待やネグレクト、介護殺人や介護心中といった、悲惨なケースへとつながっていく。それは、介護離職やヤングケアラーの増加など、子供世代・孫世代への負の連鎖となる。

「老人ホームに入所させるのが親に申し訳ない」という声もあるが、高齢者住宅や老人ホームに入所・入居しても、家族の役割が変わるわけではない。日々の食事や介護など、日々の生活支援はプロに任せて、好きなケーキを持って行ったり、一緒に昔話をしたり、という「精神的サポート」は家族にしかできない。子供家族と高齢者住宅の役割分担は、これからの後後期高齢社会には不可欠な視点だ。
高齢者住宅は、仕事と介護の両立、ひいては経済の活性化と介護問題の解決を存立させるために必要不可欠な社会インフラだということがわかるだろう。
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