特養ホームが足りない・・と全国で整備が進められているが、都心部では6000床が空いているという。一方で「今後も需要は高まる」と自治体は作り続けるという。なぜ、こんなことが起きているのか。特養ホームの空床の二つの原因と、その根本的な課題、未来について考える
12月16日の日本経済新聞の一面トップに、「足りない特養、実際には空き、首都圏で6000人分」という見出しが踊りました。
「特養ホームの待機者が全国で30万人」「特養ホームが足りない」と、今でも全国各地で整備が進められていますが、日本経済新聞が独自に首都圏の特養ホームの入所状況を調べたところ、待機者の約一割に相当する6千人のベッドが空いているというものです。世田谷の特養ホームでは開所後一年以上が経過しても、入居者は約半分に過ぎないという施設の事例が紹介されています。
(日本経済新聞 2018/12/16 漂流する社会保障 ?)
これは東京、神奈川や埼玉などの都心部だけの事象ではありません。
地方でも深刻なケースはたくさんあり、業界内ではよく知られている話です。
ただ、その一方で、埼玉、神奈川などの近郊の三県は、「今後も需要の高まりがみられる」として20年度までの3年で1万1千床、東京都では25年度までに1万5千床の新設を見込んでいます。
「とてもインパクトのある内容だった」という反面、「なぜ、こんなことになっているのか、よくわからない」という声は少なくありません。
本記事は、「都市部で単身高齢者が急速に増えるなか、特養だけで介護需要を満たすのは難しい。対象者を低所得者に絞るなど民間との役割分担を明確にする必要がある」と締めていますが、残念ながら、現状分析、課題分析ともに不十分なままの、消化不良という感は否めません。
多くの人が感じている疑問は、「特養ホームは不足しているのか? 足りているのか?」です。
親の介護にために仕事を辞める介護離職や、介護問題での介護別居、介護離婚、更には、自宅での介護を苦にした介護虐待、介護自殺、介護心中なども社会問題となっており、いまでも全国で30万人の待機者がいるとされています。
また、【w1】 超ハイパー高齢社会の衝撃? で述べたように、4人に一人が要介護3以上の重度要介護状態になる85歳以上の高齢者は、この20年の内に現在の500万人から、二倍の1000万人になり、その2/3は独居、または高齢夫婦世帯です。自宅で生活できない認知症高齢者、重度要介護高齢者は、今後、十万人単位ではなく、百万人単位で増えていきます。
なぜこんなこととになっているのか。この特養ホームの空床問題からは、特養ホームの制度上の課題だけでなく、高齢者住宅施策の矛盾が見えてきます。
介護労働市場を無視した事業計画の甘さ
現在発生している特養ホームの空床には、大きく二つの原因が存在します。
一つは、待機者が多いけれど、介護スタッフ不足で受け入れができないというものです。
① 介護労働市場を無視した開設
その原因の一つは、各自治体の事業計画の甘さです。
一昨年、神奈川のとある駅の周辺で、3つの特養ホームが同時期に一気に開設しました。
その結果、開設時に必要な介護スタッフ数を確保できたのは、他の系列施設から人材支援ができた大手の事業者だけで、後の二つは実際に必要なスタッフの半分しか集まりませんでした。今でも、残りの施設は、定員の入所者数に達していないと聞きます。
当然のことですが、特養ホームは、待機者がいても、介護スタッフがいなければ稼働しません。
「介護スタッフが不足している」「既存の施設も継続的に募集している」といった状況の中、介護労働市場が完全に重なるエリアで、複数の特養ホームを同時期に開設すれば、介護スタッフが取り合いになることは容易に想像できます。「今後も需要の高まりがみられる」と多くの自治体で、特養ホームの新設を見込んでいますが、介護スタッフ不足のまま同様のペースで特養ホームの開所を続けると、空床のままスタートする特養ホームはますます増えることになるでしょう。
② 地域の介護労働市場を知らない事業者
もう一つは、事業者の介護労働市場のマーケティング不足です。
特養ホームは、社会福祉法人のみに認められた社会福祉施設であり、老人福祉、高齢者介護ともに高度に専門的なサービスです。それぞれの地域の介護ニーズや福祉事情に精通した、経験や実績、ノウハウのある事業者が行うのが一般的です。
しかし、既存施設においても介護スタッフ確保が難しくなっていますから、経験や実績のある社会福祉法人は自治体から「新規特養ホームの公募」が示されても応じません。そのため、介護事業に始めて参入する「新しい社会福祉法人」、もしくは四国や中国地方などの社会福祉法人が「東京・首都圏進出」を狙ってでてくるケースが増えています。
その結果、「都心部では特養ホームが足りない」「今なら高額の割り増し補助金がもらえる」と勢い込んで参入したものの、事業の根幹である介護スタッフを確保することができず、「こんなはすではなかった・・」という状況になっているのです。
入所者不足の原因は「要介護限定」ではなく「富裕層限定」だから
現在発生している特養ホーム空床の原因、もう一つは入所者不足です。
「特養ホームの入所者が要介護3以上の重度要介護高齢者に限定されたから、待機者が減った」と言う人が多いのですが、市区町村単位で見ても待機者ゼロという自治体はありません。
問題は、「要介護度の限定」ではなく「資産階層の限定」が発生しているということです。
現在、全国で開設が進められているのは、ほぼすべて全室個室のユニット型特養ホームです。
居住費・食費などを含めた基準額は13万円程度とされていますが、社会福祉施設ですから低所得者を対象とした四段階の減額制度があります。
しかし、下表を見ればわかるように、この低所得者対策は、全く機能していません。
第一段階の生活保護受給者は、ユニット型特養ホームは、対象外です。
第二段階は、合計所得が80万円未満の基礎年金程度の高齢者を想定したものです。
ただ、標準の月額利用料は5.2万円ですが、それは、あくまで特養ホームに支払う額ですから、それ以外に医療費や介護保険料、被服費、おやつ代などの生活費は別途必要です。それを低く見積もって2万円と仮定しても、月額の生活費は7万円を超えます。結果、老齢基礎年金程度の収入では、ユニット型特養ホームに入ることはできません。
第三段階の年間収入が100万円、120万円、130万円の高齢者も同じです。
月額利用料は8.5万円に減額されますが、その他費用を含めると、月額11万円程度、年間では少なくとも132万円の生活費が必要になり、年金収入だけではユニット型の特養ホームに入れません。
第四段階は、収入が155万円(単身)以上の高齢者で、低所得者対策からは外れます。
しかし、特養ホームの利用料だけで年間156万円となり、その他生活費を加えると、年間200万円近くになります。現在の厚生年金の平均額は176万円、女性に限定すれば123万円ですから、それだけでは、とても足りないことがわかるでしょう。
問題はそれだけではありません。
都心部では土地取得費や建築費の高騰から、月額費用は基準額を大きく超え15万円~18万円程度となっており、医療費などのその他費用を含めると、毎月の生活費は20万円を超えてしまいます。また、これらは日々生活する上で最低限必要なお金だけで、体調を崩して入院をすると別途入院費用がかかります。「孫にお年玉や小遣いをやりたい」「葬儀などのためにある程度は貯蓄しておきたい」という気持ちもあるでしょう。
特養ホームは国が「要介護3以上」という重度要介護高齢者に絞っていますし、各自治体でも「申し込み順ではなく、自宅で生活するのが難しい待機者を優先的に入所させる」という指針をだしています。
しかし、そもそも250万円程度の年金収入があるか、数千万円の預貯金があるか、又は、子供、家族からの支援があるなど、金銭的に余裕のある一部の人しか、申し込むことができないという、「資産階層の限定」があるのです。
(参照 【w009】 金持ち優先の高級福祉施設を整備しつづける厚労省の大罪)
特養ホームは、平成12年の段階では4463施設、定員数は29.8万人だったものが、平成28年10月現在では9645施設、約58万人分が整備されています。平成18年からの10年だけでも18万人分を超える施設が整備されていますが、そのほとんどはユニット型で、特養ホーム全体の約5割に上っています。
特養ホームは、社会的弱者のための社会福祉施設ですから、身体障がい者施設、児童養護施設などと同じカテゴリーのものです。その整備には、民間の高齢者住宅と比較すると建設補助金や介護報酬を含め、その開設、運営には莫大な社会保障費が投入されています。
しかし、「福祉の増進」を名目に、莫大な介護財源と介護人材を投入して、低所得者お断り、富裕層しか利用しない絹糸で作ったセーフティネットを作り続けているというのが実態なのです。
ユニット型特養ホームの空床は改善が難しい
特養ホームの空床問題を俯瞰すると、これは特養ホーム全体の話ではなく、個室型の「ユニット型特養ホーム」の問題であること、また、主に介護スタッフ不足が顕著になったこの5年以内に作られた新しい特養ホームに多いことなどの特徴が見えてきます。またそれは、数人の空床ではなく、ユニット単位、十人単位という大規模な空床であること、更に、新規開設、単独特養ホームなど、財政基盤、運営基盤の弱い事業者が多いことがわかります。
ここで発生する一つの疑問は、「なぜ、入所者が半数程度でも経営できているのか」です。
特養ホームは、開所後半年程度で満床になるということが前提ですし、建物設備費の借入金返済や介護スタッフの人件費などの固定費の支出割合が大きいのが特徴です。特に、財政基盤が弱い新規参入事業者の場合、通常であればキャッシュフローがすぐに枯渇して、経営できなくなるはずです。
ただ、その理由は単純で、建築費を融資している福祉医療機構は、当初の三年間、元金返済を猶予しているからです。その間は建物設備にかかる借入金返済が必要ないため、入居率が半分程度でも、その間は運営することは可能です。
問題は、その3年の間に、運営を安定させることができるかどうかです。
「低所得者でも入れるように値下げをすればよい」という人がいますが、そもそも福祉施設ですから、高い利益がでるような価格設定になっていません。また、月額費用の基準額は行政によって定められたものですから、価格改定には制度変更が必要になり、自治体の更なる負担が前提です。
もう一つの介護スタッフの確保はさらに深刻です。それは、今後、更に介護スタッフの確保が困難になっていくということだけでなく、ユニット型特養ホームはその建物設備や介護システムの性格上、少しずつ介護スタッフを増やしていけば良いというものではないからです。
現在のユニット型特養ホームの特徴を上げたものが、下の図です。
その特徴は、10名前後の入所者を一つの単位(ユニット)とし、それぞれのユニットに食堂や浴室などが整備され、ユニット単位で介護するというものです。
これをユニットケアと言います。特養ホームの指定人員配置は【3:1配置】です。10名の入所者に対して、常勤換算で3.33人以上の介護看護スタッフを配置すれば良いことになっていますが、実際にはその二倍程度の6~7人程度の介護スタッフが必要です。
述べたように、介護スタッフ不足による特養ホームで問題となっている空床の特徴は、ユニット単位、フロア単位で入所者がゼロという状態のものです。
それはユニットケアの介護実務を考えると、「介護スタッフ2人余裕ができたので、空いているユニットに3人だけ入所者を受け入れよう」「少しずつ介護スタッフを雇用して、少しずつ入居者を受け入れよう」ということはできないからです。
つまり、上記の図の例ような空床の場合、3階のユニットを開けるには、ユニット単位、フロア単位で必要となる10人以上の介護スタッフを一気に増やさなければならないのです。
しかし、それは容易ではありません。
一般的に、介護スタッフを最も集めやすいのは、「開設時」です。
それは、「新しい施設で働きたい」「一から立ち上げに関わりたい」という人が多いからです。特に、メインターゲットとなる介護系大学や専門学校の新卒者の多くは、新規開設施設への希望者が大半です。
これからも、毎年、特養ホームや介護付有料老人ホームが開設されていくこと、現在の多くの施設で一人、二人の介護スタッフの雇用さえ、苦労していることを考え合わせると、既存施設で10人、15人の介護スタッフを一気に雇用することは、相当難しいということがわかるでしょう。
厳しいようですが、開所時に、介護スタッフ不足でユニット単位の空床状態に陥ってしまうと、それを改善することは不可能に近いのです。
現在でも入所者不足で、財政が悪化している社会福祉法人、特養ホームは相当数に上るとされており、すでにそのまま3年が経過し、「福祉医療機構」への返済が滞っている社会福祉法人は、これまでにない数に上っていると聞きます。
社会福祉法人、特養ホームは潰れないと思っている事業者が多いのですが、学校法人や医療法人と同じように倒産します。
実際、給与の未払い、介護スタッフの大量離職などで、事業が立ち行かなくなり、閉鎖されるところもでてききています。介護看護、食事などのサービスが止まると、その特養ホームで生活する入所者は生活できないだけでなく、生命に関わる状態になるため、緊急避難先として近隣の特養ホームを巻き込み、その地域の介護福祉ネットワークは大混乱に陥ることになります。
特養ホームは、地域の高齢者介護・高齢者福祉の拠点です。
その倒産は、その市町村、当該地域の老人福祉、高齢者介護の底が抜けるということです。
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