多くの介護保険施設、高齢者住宅で使用されている「介護事故報告書」「ヒヤリハット報告書」には根本的な誤解がある。介護業界には、介護サービスの特性を理解した上で、医療業界とは違う視点での事故報告書作成の視点が必要。「怪我がなかったからヒヤリハット」は大間違い
管理者・リーダー向け 連載 『介護事業の成否を決めるリスクマネジメント』 031
あるだけ報告書が拡大させる法的責任で、事故報告書は予見可能性の決定的な証拠になると言いましたが、あるセミナーで「事故報告書を積極的につくると、リスクマネジメント上マイナスになる面もあるのでは」「行政への報告が必要な必要最低限のものだけでいいのではないか」「わざわざ書類として残す必要はないのでないか」と聞かれたことがあります。
「そういう風に考えてしまうのか・・」と思ったのですが、もちろんこれは全く違います。
それは、「犯罪発生率を減らすには、調書を取らなければ良い」と言っているのと同じです。
そんな地域で安全な生活ができるかと言えば、それは全く違うでしょう。
これと同じタイプの誤解が、「事故報告書の多い事業者は事故が多い事業者」「事故報告書が少ない事業者は優良な事業者」というものです。
「当初は事故報告書の数が多かったけれど、事故予防・削減の取り組みによって減少した」というのであれば正しい評価ですが、報告書の作成基準がそれぞれ事業者で違うため、報告書の枚数だけで事故の多い少ないを判断することはできません。
この問題の根幹は、介護業界で「どんな時に事故報告書を書くのか」が、整理・統一されていないことにあります。まず重要になるのは、「事故報告書の中身・内容」ではなく、「どんな時に事故報告書を策定すべきなのか…」です。
骨折やケガがなければ、事故報告書は必要ない?
事故報告書はどんな時に書くのか・・と言えば、もちろん転倒や転落などの事故が発生した時です。
介護保険制度では、骨折や頭部打撲による入院などの重大事故、死亡事故については、報告書の作成と行政への報告が義務付けられています。
「転倒したけれど、擦り傷程度だった・・」という場合は、行政への報告は必要ありません。
しかし、「骨折やケガがなければ、事業所内での報告も必要ないか」「家族に説明する必要はないか」と言えばそうではありません。行政が、報告を事業所に求めるのは、骨折などの重大事故の件数を把握することが目的ですが、事業所の「事故報告書」の目的は、事故の原因を把握して、発生予防、拡大予防策を検討することです。骨折などの重大な被害があったか否かは、単なるラッキー・アンラッキーでしかなく、リスクマネジメントの視点から見れば、「骨折がなくてよかった」で終わらせてはいけません。
これは、転倒事故、転落事故だけでなく、誤嚥事故、溺水事故も同じです。
ケアプランの見直し、介助方法の見直し、設備備品の見直し、家族への連絡などの対策は必ず必要です。
そのためには、ケガ・被害の有無に関わらず、事故の発生、発見した時点で、事故報告書を策定するというのが鉄則です。
骨折やケガがなければ、事故報告ではなくヒヤリハット報告?
もう一つは、ヒヤリハット報告です。
介護保険施設や介護サービス事業で、介護事故・生活事故などを論じるときに、よく利用されるのがアメリカの安全技師ハインリッヒが発表した「ハインリッヒの法則」です。これはアメリカの労働災害を分析した結果、「1件の重大事故の背景には、29件の軽微なケガを伴う災害があり、その背景に300件の無傷の災害がある」という統計結果を導き出したものです。つまり、介護保険施設などにおける事故も、重大な入院に至るような事故、死亡事故の影には、29件の軽易な事故とケガを伴わない300件の事故があるということです。このケガに至らない300件の事故を「ヒヤリハット事故」と呼んでいます。文字通り、「突発的な事象やミスで、ヒヤリとしたり、ハットしたりしたもの」です。
この法則の通り、重大事故を減らすためには、いかに軽易な事故を減らすか、またそのためには、ヒヤリハット事故を早期に発見し、減らしていくという作業が必要であることがわかります。
ただ、問題は、どのようなケースを「ヒヤリハット」として報告書しているのか・・です。
本来、「ヒヤリハット事故」は、重大事故に直結してもおかしくない一歩手前での発見を言います。
「ブレーキが緩んでいたので、移乗介助中に車いすが動いてしまった」「ネジが取れストレッチャーの安全バーが突然外れた」「配薬に間違いがあり、違う薬を飲ませるところだった」などというものです。
しかし、ヒヤリハット報告書を作っている事業者の話を聞くと、「転倒してケガをすれば事故報告」「転倒したけれどケガをしなかったのでヒヤリハット報告」としているところが多いのです。
何故、このような対応がいけないのか。
それは、介護事故を「たまたま、運が良かった・悪かった」という視点で捉えてしまうからです。
「Aさんが浴室内の床で滑って転倒した」と管理者に報告があり、その後看護師がチェックして「骨折も打撲もなかった」と聞くと、「よかった・・」とホッと胸をなでおろすのは当然です。しかし、転倒したことは事実です。怪我をしなければ、「ヒヤリハット報告」ということになれば、「介護事故報告書」と「ヒヤリハット報告書」の違いは、ラッキー・アンラッキーでしかありません。
その結果、「ヒヤリハットで良かった・・」という意識から、問題を小さく評価してしまうことになります。転倒の結果、打ちどころが悪ければ骨折や頭部打撲による死亡事故となる可能性もあったはずです。もしかしたら、転倒の場所が1m違えば、カランなどで頭を強打し、亡くなっていたかもしれません。本当であれば、「どうして転倒を防げなかったのか」「適切な介助方法だったか」「ケアプランや入浴方法の見直しが必要ではないか」と検証し、再発防止策を講じなければなりません。やるべきことは、事故報告書もヒヤリハット報告書も同じなのですが、「ヒヤリハットで良かった」という意識の中で、一過性の事故として捉えられ、詳細な検証・改善検討が不十分になるのです。
「怪我をしなかったのでヒヤリハットで良いのではないか・・」という人がいますが、医療の現場で、「違う薬を投与したけれど体に異変がなかったのでヒヤリハット」「看護師が医師の指示と違う医療行為を行ったが、大丈夫だったのでヒヤリハット」とは言わないでしょう。それと同じです。
転倒や転落といった事象が発生した時点で、介護事故として報告し、その内容について徹底的に検証しなければならなのです。
介護には医療とは違う視点での報告体制が必要
実は、医療業界でも、これまでのヒヤリハットから、インシデントレポートへと姿を変えています。
「ヒヤリとした、ハットした」という看護師、介護スタッフの意識だけに頼ってしまうと、同じ事象を見ても、その経験や知識、技術、更には性格の違いによって、「ヒヤリとしたり、ハットしない人はヒヤリハット報告が出せない・・」という笑い話になってしまいます。そのため、事実としての、事故の種を見つけるための「インシデントレポート」というものに変わっているのです。
介護現場も「ヒヤリハット報告」から「インシデントレポート」に変えていかなければなりません。
そして、同時に「高齢者介護」のインシデントレポートはどうあるべきか、医療業界と何が違うのかを整理し、再検討する時期にきているということです。
例えば、医療・看護のヒヤリハット報告の目的は、主として「人為的な医療看護ミス、勘違いをどのように予防するのか」が主眼に置かれています。薬剤の内容・分量の勘違い、患者の取り違えなどによる医療事故が多発したため、これをなくすために何度も確認をしたり、複数人でチェックするという手法が採られるようになっています。
しかし、介護保険施設、高齢者住宅などの高齢者介護の現場で発生する「介護事故」の対策は、「介護ミスの削減」だけではありません。それ以上に、利用者・入所者の加齢変化に目を光らせる必要があります。筋力が低下しふらつきが大きくなって躓いたり、認知症の高齢者が車椅子から立ち上がったり・・ということが日々発生するからです。
それ以外にも、「現在の介護手順では利用者が一人になるときがある」 「雨天時にエントランスが濡れていて危険」など、サービスを提供していて「もしかしたら・・事故になるかも・・・」と感じるポイントはたくさんあるはずです。その時はスタッフがそばにいて大丈夫だったけれど、一人の時には転倒するかもしれない・・・そのような細かな気づきを情報として集約していく必要があるのです。
「なにがダメなのか」 介護事故報告書を徹底的に見直す
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