ニュースでも繰り返し報道されているように、また有料老人ホームで介護スタッフによる殺人事件が発生した。殺人にまで至らなくても、スタッフによる虐待事件は増加の一途をたどり、年間500件を超えている。なぜ、このようなことが繰り返されるのか、根本的な原因はどこにあるのかについて考える。
品川区の老人ホーム「サニーライフ北品川」で発生した職員による暴行殺人事件。
内容については、新聞やテレビでも報道されていることから、ここでは詳細は繰り返さない。ただ、これが大きなニュースとなるのは、個人的な事情、私怨などによる殺人事件ではなく、近い将来、家族や自分の身にも十分に起こりうることだからだ。
WARM 超高齢社会の衝撃 ? で述べているように、超高齢社会における医療介護問題が本格化するのはこれからだ。 84歳までの高齢者は、現在がピークで、なだらかに減少していく一方、85歳以上の後後期高齢者は、2035年までの15年で500万人から1000万人へと一気に増加する。その6割は生活上なんらかの支援・介護が必要となり、半数は認知症、4人に1人は要介護3以上の重度要介護高齢者、更に3人に2人は独居、もしくは高齢夫婦世帯である。
生産年齢人口が減少する一方、後後期高齢者1000万人時代は2070年頃まで続くことがわかっている。
要介護は高齢者本人だけでなく、家族の抱える問題でもある。
年金支給繰り下げ、定年延長が叫ばれる一方で、老親の介護は重い負担として圧し掛かっていく。
自宅で生活できなくなり、終の棲家として選んだ老人ホームで、そのスタッフから虐待され、暴行を受けて死亡するとなれば、「どうすればいいのか?」と頭を抱えている家族は多いだろう。
虐待を減らすには「介護の労働環境の改善が不可欠だ・・」と訴えるコメントが大半で、原因を「介護報酬の低さ」にあると考える人も多い。
もちろん、現在の介護報酬が「介護の専門性」と比較して、物足りないということは事実である。 高齢者介護は「要介護高齢者のお世話」ではない ? で述べているように、現代の介護は、家族代行サービスではなく、専門性・科学的な根拠に基づいたプロの仕事である。
「オムツ替えました。後は知りません」なのか、個々人に最も快適な排せつ方法を専門家がチームで検討するところからスタートする専門的ケアなのか、自分が歳をとった時に後者の生活・介護を望むのであれば、その専門性を評価してほしいと考えるのは当然のことだ。現状「給与が低いから、優秀な人材が集まらない、虐待をする人が増える」といった負のスパイラルに陥っていることも正しい分析だろう。
ただ、この繰り返される虐待問題の根幹にあるのは「介護報酬」ではない。「労働環境」は給与だけではないからだ。もし、今回の事件で「本人の給与が数万円高ければ、虐待は発生しなかったか」と問えば、それは違うだろう。
この問題の本質は「給与」ではなく、介護スタッフが置かれた「過酷な労働環境」にある。
労働環境を整えるのは企業の責任
介護サービス事業は、民間の営利目的の事業でありながら、公的な介護保険制度によって、提供すべき介護サービスの中身や、介護報酬は決められているという他に類例のない特殊な事業である。ただ、その介護報酬をもとに、介護サービス事業に参入するかしないかを決めるのも、どのようなビジネスモデルを組んで、介護報酬からどの程度を人件費に回すのかを決めるのも事業者である。経営者は決められた報酬・サービスの中で、介護スタッフが安心して安全に意欲をもって働けるように労働環境を整える努力をしなければならない。それができないのであれば、介護サービス事業に参入すべきではない。
しかし、高齢者住宅業界は、「需要が増える・・」「介護は儲かりそうだ・・」と、介護の現場も介護保険の基礎も知らないまま参入してきた素人事業者が圧倒的に多い。特に、規模が大きい、運営ホーム数が多い大手事業者は、介護保険制度以降にスタートした企業が大半で、ワンマン創業者の馬力によって急成長、急拡大してきたという側面が強い。その意欲を全否定するつもりはないが、ほとんどの経営者は、現場での介護経験や老人ホームでのマネジメント経験がない。その結果、サービス管理だけでなく、最低限のガバナンスやコンプライアンスさえ整わないまま、規模の拡大を優先させてきたのだ。
そして、素人事業者の特徴は、過度な低価格化路線を走っているということだ。
高齢者住宅事業は、「住宅サービス」と「生活支援サービス」の複合サービスである。建築コストや食費のコストを抑えるには限界があるため、低価格化を実現するには、人件費を抑えるしかない。しかし、一人当たりの給与水準を抑えると介護スタッフが集まらなくなるため、人件費総額を抑制するには、介護労働者の数を抑えることになる。実際、「介護の仕事はブラックだ・・最悪だ・・」という介護スタッフは多いが、実際に話をすると、適切な介護に必要な必要最低限の人員配置さえ整っておらず、「介護という仕事の問題ではなく、その事業者の労働環境が原因」というケースがほとんどだ。
これは、離職率のデータを見てもよくわかる。
介護職の離職率が高いと言われるが、一般産業の15%に対して、介護労働者の離職率は16.2%であり、それほど大きな違いはない。ただ、介護業界の特徴は、離職率が二極化しているということだ。離職率が10%未満の事業所も約4割を占めるのに対し、30%以上という高い離職率の事業者も1/4に達する。特に介護付有料老人ホームは、同じような業態の特養ホームや老健施設と比較すると、30%以上の高い離職率の割合が突出しているのがわかるだろう。
一方、このような低価格路線には、スタッフは集まらないが入居者は集まってくる。
そのため、労働環境の見直しやスタッフ教育もサービス管理も行われないまま、事業規模だけが拡大していく。事前の事故リスクの検討やケアプラン作成も行われないまま、現場の労働環境、過重労働を無視して、介護が難しい認知症高齢者、医療ケアの必要な高齢者がどんどん入ってくる。
この「サニーライフ北品川」は、住宅型有料老人ホームであり、今回亡くなられた高齢者は「認知症」だったと報道されている。本来、住宅型に適用される区分支給限度額方式は、「事前予約方式」「ポイント介助」が前提であり、「見守り・声掛け」といったケアは介護保険対象外であるため、認知症高齢者には対応できない。
スタッフによる虐待、殺人事件だけでなく、死亡事故も増加しており、介護スタッフ個人が業務上過失致死に問われるようなケースも増えている。この殺人事件は、素人事業者が「この手法は不正ではないか」「この人数で介護できない」と疑問を呈すスタッフを排除し、勢いだけで無理に無理を重ねて、それをすべて現場のスタッフに押し付けて、目先の利益だけを求めて事業を拡大してきた結果なのだ。
そう考えると、この手の虐待殺人や信じられないようなレベルの死亡事故が、低価格化路線の大手事業者に多いという理由が見えてくるだろう。
もちろん、殺人を犯したスタッフを庇うつもりはない。暴力行為は瞬間的なものではなく、内臓を傷つけるほど執拗に行われていることを見ても、決して許されることではない。ただ、介護の専門性を理解せず、短期利益ありきで過重労働を押し付け、介護労働者の人格までを崩壊させて「専門性の高い介護のプロ」ではなく、殺人者や犯罪者に仕立て上げた素人経営者の責任は重大なのだ。
しかし、これは当該事件を起こした有料老人ホーム事業者だけの問題ではない。
介護保険制度以降、「有料老人ホーム・サ高住」「介護付・住宅型」など、全国で高齢者住宅が激増しており、そのほとんどで「介護が必要になっても安心」と標榜、セールスしている。しかし、プロの目から見て、重度要介護状態や認知症になった時に、きちんと介護ができる体制・介護システムが整っている事業者は、住宅型有料老人ホームやサ高住ではほぼゼロ、介護付有料老人ホームでも半数に満たない。
これは「ノウハウ・経験不足」ではなく「ビジネスモデルの破綻」である。
「重度要介護高齢者が安全に暮らせる生活環境」というのは、介護スタッフが「重度要介護高齢者を安全に介護できる労働環境」とイコールである。そう考えると、現在の高齢者住宅のほとんどは、安全に介護できる労働環境が整っていないということだ。現在は、軽度~中度要介護高齢者が多くても、加齢や疾病によって中度~重度要介護高齢者が増えてくれば、介護労働者の労働環境は、更に悲惨なものとなる。
この問題の背景の根底にあるのは、「介護報酬の低さ」「少子化による労働者不足」ではなく、「素人経営の劣悪な労働環境」にある。介護報酬が上がって、数万円給与が上がっても、不正や過重労働を強いられる悲惨な労働環境が改善されなければ、問題は解決しないのだ。
補助金優先で入居者保護施策を崩壊させた行政の責任
もう一つの事件の背景にあるのは、制度の混乱による「入居者保護施策」の崩壊だ。
高齢者住宅の入居者は身体機能や認知機能の低下した高齢者、要介護高齢者である。自らの権利が適切に主張できないだけでなく、サービスが閉鎖的な環境で行われること、また入居者・家族が自宅に戻れないという弱い立場にあるため、このような虐待や暴行などが発生しやすい環境にあると言ってもよい。
高齢者住宅で高齢者・家族が安全に安心して生活するためには、行政など第三者による入居者保護施策の充実、指導監査体制の整備が不可欠である。
しかし、現在の高齢者住宅の制度は、厚労省の「有料老人ホーム」と国交省の「サービス付き高齢者向け住宅」が分離しており、その歪みで「入居者保護施策」は事実上崩壊している。
それは、介護保険制度も同じで、「介護付」と「訪問介護付き」の違いも理解されないまま、どちらも「介護が必要になっても安心」を標榜し、「囲い込み」「不正請求」は実質的の野放し状態にある。その結果、低価格のサ高住や住宅型、無届施設は貧困ビジネスと化し、数千億円~数兆円規模の無駄な介護保険、医療保険などの社会保障費が垂れ流しにされている。介護保険料や健康保険料を値上げしなくても、この不正を根絶できれば、介護スタッフの年間給与を50万円~100万円は上げることができるだろう。
これまで、高齢者住宅は厚労省・国交省・自治体の「利権・補助金の取り合い」だったが、最近では「責任の押し付け合い」が始まっている。
このような殺人事件や虐待が表面化すると、厚労大臣がでてきて「適切に指導を自治体に指示した」と発表するが、自治体は「それぞれの事業者の経営責任」「入居者の選択責任」と見て見ぬふりと、責任の擦り付け合いで、まったく改善が進んでいない。
その結果、このような虐待・殺人事件が繰り返され、介護業界、介護労働全体のイメージが悪くなり、優良なサービスを提供している事業者までスタッフ不足に喘ぐことになるのだ。
この虐待、殺人事件を含め、現在、発生している高齢者住宅・老人ホームの問題のすべては、「素人事業者の増加」×「制度の混乱」に端を発している。
介護労働がブラックなのではなく、行政と事業者があまりにも無責任なのだ。
このまま船を走らせれば、間違いなく、大きな氷山にぶち当たり「虐待・殺人事件の頻発」「倒産事業者の激増」「行き場のない高齢者の生活破綻」など、高齢者住宅業界は大崩壊を起こすことになる。
大きな痛みが生じても、高齢者住宅・介護保険制度制度の統合、「囲い込み」などの不正の排除は喫緊に対応すべき課題である。現在の状況は、すでに「急ブレーキを踏めば、転倒する高齢者も出てくるので危険だ・・」というレベルの話をしているときではないのだ。
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