若年層の身体障がい者の生活は、ICTの導入・進化によって一人でできることが増えると期待されており、介護の必要性そのものが削減される。しかし、要介護高齢者は判断力の低下、認知症の問題があるため介護の必要性は変わらず、効果は介護スタッフの負担軽減に留まる
「介護職員 配置基準緩和」は愚策か 六 (全9回)
介護は、資本集約的ではなく労働集約的な事業・サービスです。二台の車いすを移動介助するには、二人の介護スタッフが必要ですし、排泄介助も個別入浴介助もマンツーマンです。
また、人間が人間に介助する仕事ですから、「いつもは移動介助時に立ち上がることができるが、今日はふらつきが大きい」「機嫌が悪い日は、宥めながら着脱介助に時間がかかる」など、高齢者の体調によって、要介護状態や情緒は日々変化します、更に、突然の熱発によって体調不良によって突然スタッフが休みになるなど、勤務体系も変動します。「スタッフがひとり休みだから、今日は排泄介助、入浴介助を減らそう」ということにはなりません。
事故やトラブルを未然に防ぐには、排泄介助・食事介助などの直接介助だけでなく、随時の見守り、声掛けなどの間接的な介助も必要です。
例えば、食事の時間帯に、ガツガツと急いで食べている高齢者に、誤嚥・窒息を防ぐため「ゆっくり食べて下さいね」と声をかけたり、食事が終わって立ち上がろうとしている人に、「一緒にお部屋まで行きますから、ちょっと待っていてくださいね」と指示することもあります。センサーで見守りといっても、「事務所やスタッフルームで、食堂の場面をカメラでチェックをして、異変があればやってきて対応する」というのでは、間に合わないこともたくさんあります。
高齢者介護という仕事、特に施設・住宅系の介護の仕事は、毎日、変動する要介護状態や機嫌、勤務体系の中で仕事をしています。また、その業務量・サービス内容は、早朝の時間帯、入浴の時間帯、食事の時間帯など大きく変動します。センサーやICTの導入によって、記録や巡回など、個々のスタッフの負担軽減は可能ですが、その時間帯、介助場面で必要なスタッフの数は基本的には変わりません。
「ICTと介護の融合」が、介護サービスの激変、介護業務の大幅削減につながるかのようなイメージを持つ人がいますがそれは、特養ホームや介護付有料老人ホームの介助実務、高齢者介護の特性を考えると不可能なのです。
高齢者介護は、ICTで負担軽減はできるが、業務削減はできない
その理由の一つは、業務の軽減はできるが、業務の削減はできないということです。
介護スタッフは、身体的にも精神的にも負担・ストレスの大きい仕事です。老人福祉の時代から比べると記録しなければならない事項は格段に増えていますし、スタッフ数の少ない夜勤帯に認知症の高齢者が不穏な状態になったり、起きだして転倒・骨折すると、スタッフの業務量・ストレスはさらに増大します。介護スタッフの負担軽減、労働環境の改善に、ICTの活用は有効であることは間違いありません。
しかし、残念ながら、今まで、二人の介護スタッフでやっていたことが、一人でできるようになるわけではありません。
それは、負担軽減と業務削減とは、根本的に違うからです。
これは要介護高齢者と身体障がい者の介護の違いを考えればわかります。
ICTの活用で、生活や介護が激変するのは、若年層の身体障がい者に対する介護です。
近未来には、交通事故で脊髄損傷や両下肢切断となった重度の障碍者でも、ICTの進化によって、車いすをベッド近くまで呼んだり、自動車いすがトイレに連れて行ってくれたり、スマホに話しかけることでテレビやエアコンを付けたり、ベッドの形状が変化して車いす移乗やトイレへの移動、排泄など、ひとりでできることが増えていくでしょう。麻痺が強く会話のコミュニケーションが難しかった人でも、パソコンやスマホを使って不自由なくコミュニケーションが可能になるかもしれません。視覚障碍者や聴覚障碍者も同じです。
若年層の身体障碍者の場合、その障害の原因となったものが進行性の病気でないかぎり、その障害は固定します。ICTを使う期間も長くなりますし、情報の蓄積によって、より使いやすくなっていくでしょう。ICTを障害者が直接操作し、QOLに直接働きかけることができますから、介護・介助行為そのものを削減することができます。
しかし、要介護高齢者は、認知機能・判断力の低下に加え、認知症の問題があるため、自分で直接ICTを使うことはできません。それは日々の介護業務をみていればわかります。認知症高齢者に対して、「一人で大丈夫?」と聞くと、鸚鵡返しに「大丈夫」と答えます。大腿骨骨折でギブスをしていても、立ち上がったり歩き出したりする人もいます。
認知症でなくても、判断力は低下しています。入所時にはしっかりしていても、加齢によって身体機能・認知機能は低下し、できないことが少しずつ増えていきます。
これは「高齢者は、スマホやICTは使えない」という話ではありません。スマホを使うだけなら今の70代、80代の人は可能だと思いますが、認知症や判断力の低下によって「自分ができること・できないこと」「危険なこと、危険でないこと」がわからなくなるのです。「OK グーグル」と言っても、OKでないことがたくさんあるのです。
同じ「介護が必要な状態」と言っても、要介護高齢者の場合、身体障碍者とは違い、介助行為そのものがなくなるわけではありません。高齢者介護は「介護スタッフが介護・介助する」という前提は同じで、あくまで、その負担軽減にしか活用できないのです。
ICTを活用しても事故の法的責任は事業者・スタッフに
これは、もう一つの事故の法的責任の問題とも関係してきます。
若年層の身体障碍者の場合、ICTは自分の判断、責任で利用すると言うのが前提です。操作をミスして転倒、骨折した場合でも、本人の責任です。
しかし、要介護高齢者の場合、安全に介助する義務は老人ホーム側にあります。「離床センサーが発報して駆けつけたけれど、転倒していた」という場合、法的(民事)には離床センサーだけで事故予防対策は十分だったのか、安全配慮義務は果たされていたのか…という疑義が生じます。同時に二か所のセンサーが発報したり、他の入居者への排泄介助中で駆けつけるのが遅れたりした場合、「発報から15分以上経過している…」「すぐに駆け付けていれば事故は起きなかった」などと高額の損害賠償請求を受ける可能性もあります。
高齢者介護においては、ICTの活用によって事故リスクの早期発見ができても、介護スタッフが出向いて対処しなければならないことは同じです。センサーが発報して、認知症高齢者が起きだして、ごそごそすれば、介護スタッフはケアをしなければならないのです。センサーがあっても、転倒事故をゼロにすることはできませんし、事故が起きた場合の法的責任(損害賠償責任)までなくなるわけではないのです。
「介護職員 配置基準緩和」は愚策か 一 (全9回)
1 「介護職員 配置基準緩和」の目的は何か
2 「介護職員配置 基準緩和」のターゲットは介護付有料老人ホーム
3 「介護職員配置 基準緩和」の課題と論点 Ⅰ ~【3:1配置】とは何か ①~
4 「介護職員配置 基準緩和」の課題と論点 Ⅱ ~【3:1配置】とは何か ②~
5 「介護職員配置 基準緩和」の課題と論点 Ⅲ ~CITで人員削減は可能か ①~
6 「介護職員配置 基準緩和」の課題と論点 Ⅳ ~CITで人員削減は可能か ②~
7 「介護職員配置 基準緩和」が行きつく先は高額化と二極化
8 なぜ、高齢者の住まいの制度は迷走しつづけているのか
9 「介護職員 配置基準緩和」は、やるべきことと正反対
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