愛知県春日井市の特別養護老人ホームで、職員らが見守りを怠った結果、入所していた女性(当時81歳)が食べ物を喉につまらせて死亡したとして、遺族が施設側に計約3550万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、名古屋地裁であった。斎藤毅裁判長は施設側の注意義務違反(安全配慮義務違反)を認定し、計約1370万円の支払いを命じた。
食べ物を喉につまらせ81歳死亡、特養側に1370万円支払い命令…地裁「危険性予見できた」
誤嚥死亡事故の法的責任の論点はどこにあるのか
認知症のある女性入所者が、食事中に食べ物を詰まらせて心配停止となり、亡くなりました。
まずはお悔やみを申し上げます。
この死亡事故に関し、遺族側が「介護に瑕疵があった」と施設側に求めていた損害賠償訴訟の判決で、名古屋地裁は女性が以前から食事をかき込んで食べ、たびたび嘔吐(おうと)していたことから、「吐いた食べ物で窒息する危険性を予見できた」と指摘。女性が食事する際は職員が常に見守るべきだったのに、目を離した結果、女性が死亡したと認定しています。
食事中の「窒息死亡事故」が発生した場合、民事裁判では3つの争点を軸に議論が行われます。
① 窒息をするような可能性が予見できたか
一つは予見可能性と呼ばれるものです。述べたように高齢者は嚥下機能・咀嚼機能が低下し、唾液の量も減っていますから、すべての人に窒息の可能性はあります。喉に詰めやすい餅やこんにゃく、カステラ・ドーナツなどは窒息のリスクの高い食物だと言えます。今回のように認知症で、がつがつ食べる高齢者はそのリスクがさらに高くなります。
② 窒息事故を回避するための対策は適切だったか
二つ目は、結果回避義務と言われるものです。窒息リスクの高い高齢者に対しては、「パンがゆにする」「おかゆにする」「ミンチ状・ペースト状のものにする」といった食事内容の変更や、「もっとゆっくりと食べてください」といった見守り・声掛けなど、必要な対策が適切に取られていたか否かです。
③ 窒息時の緊急対応の措置に瑕疵はなかったか
そして三つ目は、窒息が起きた時に、「タッピングや吸引機を使った救急措置が行われたか」「救急車の依頼が迅速に行われたか」という緊急対応措置です。窒息は、普段は普通に食べていて、これまで誤嚥や窒息などしたことのない高齢者にも突然起きることがあります。「予見可能性なし」といったケースでも、救急連絡への遅れが死亡につながったと判断され、高額の損害賠償が認められたケースもあります。
これを3つの論点を裁判官が総合的に判断して、事業者の安全配慮義務は満たされていたか否かが判断されることになります。
事業者側の過失(安全配慮義務違反)が認められるケースは、3つに分かれます。
(A) ①予見可能性があったのに、②の結果回避義務を果たしていないと判断されるケース
(B) ①の予見可能性があり、②の結果回避義務を果たしていたが、③の緊急対応の措置に問題があったとされるケース
(C) ①の予見可能性がなかったが、③の緊急対応の措置に問題があったとされるケース
この判決の全文は、まだ上がっていないようですが、ニュースに上げられている短い内容からも論旨は明快です。
女性が以前から食事をかき込んで食べ、たびたび嘔吐(おうと)していたことから、「吐いた食べ物で窒息する危険性を予見できた」と指摘しています。これは①の予見可能性です。それに対して、②の「女性が食事する際は職員が常に見守るべきだったのに、目を離した結果、女性が死亡した」と認定しています。これが②の結果回避義務です。
(A)の「予見可能性+結果回避義務が不十分 = 事業者過失あり」 なので、緊急対応の措置が適切だったか否かについては、触れられていないようです。
損害賠償を認めたということは、「この事故は事業者の努力で避けられた…」と裁判所が判断したということです。ただ、この短いニュースだけでは見えてこないいくつかの論点があります。
「たびたび嘔吐していた」というのは、ケース記録や事故報告書に残っているのだと思いますから、①の予見可能性は間違いありません。
疑義が生じるのは、②の「結果回避義務は本当に不十分だったのか」・・・です。
【論点① 見守りを強化していれば防げたのか】
これは、まず「見守り介助とは何か、何のために行うのか・・・」という議論が必要です。
例えば、入浴介助中(浴槽に浸かっている状態)に、数分間目を離したすきに入居者が溺れて亡くなるという事故が発生しています。入浴はヒートショックやのぼせ、血圧の急降下など急変リスクの高い入浴行動ですから、特浴・個浴は目を離さないマンツーマン介助が基本です。本人に異変があればすぐに引き上げることができますから、「見守っていれば溺水事故は防げた。見守りをしていなかったのが原因」という説明はわかりやすいものです。
しかし、「誤嚥・窒息事故」は、事情が違います。誤嚥や窒息は「適切な見守りをしていなかったから発生する」というものでも、「見守りをしていれば防ぐことができる」というものでもないからです。今回のように「かきこんで食べる認知症高齢者」は、隣に座って、「ゆっくり食べてくださいね…」と声かけをしている途中にも誤嚥したり、窒息したりします。また「誤嚥・窒息リスク」はすべての入所者に共通するものですから、介護スタッフはその人だけをずっと凝視しているわけではありません。
事業者(介護スタッフ)の過失として、「窒息リスクの高い高齢者なのに、漫然と放置し、窒息に気づくのに10分以上かかり、救急対応も不十分で、119番通報も遅れた」(③の緊急対応の不備)というのであればわかりますが、「目を離したから窒息した」「見守りしていれば窒息を防げた」というのは、食事中の「見守り介助」に対する議論が甘いような気がします。
【論点② 食事内容の変更はどこまで行われたのか】
結果回避義務のもう一つの論点は、「パンがゆにする」「おかゆにする」「ミンチ状・ペースト状のものにする」といった食事内容の変更です。
「おかゆにしておけば防げた」と思うかもしれませんが、これはそう簡単な話でありません。認知症といっても、「自分が何を食べているのかわからない。とりあえず目の前に置かれたものを食べる」という人もいれば、おかゆやペースト食にすると「こんなもの食えるか」と怒り出してしまう人もいます。
また、これは生活行動の制限ですから、事業者だけの判断で「誤嚥・窒息のリスクがあるから、おかゆ・ペースト食に変更」と勝手に決めてよいものではありません。食欲が減退して食事量が減ればどうするのか…、家族が納得しても本人が納得しないケースはどうするのか‥、「窒息を防ぐために、食事内容の変更をすべきだった」というほど簡単な話ではないのです。
特に、今回の対象者は認知症高齢者です。
認知症がない場合、「誤嚥や窒息があるので、ゆっくり食べてくださいね…」と説明すれば理解できますが、認知症高齢者は何度説明しても忘れてしまいます。「かきこんで食べる」という誤嚥や窒息の可能性の高い食べ方は、事業者の説明や努力によって変えることは不可能です。それは、見守りや声掛けを強化していても、食事内容を変更していたとしても、「誤嚥・窒息」そのものを回避することはできないということです。
もちろん、現状、本人の要介護状態や判決内容の詳細はわかりません。初期対応などこれらの論点以外にも事業者の瑕疵があったのかもしれません。ただ、このような「かきこんで食べる認知症高齢者の誤嚥・窒息」は、事業者が見守り対応をしていれば回避できるのかと言われると、難しいのです。
裁判所は「介護の現場を知らない」という感情的な議論には意味がない
今回の事故では、2チャンネルの開設者で実業家のひろゆきさんが、「認知症の高齢者は預からないのが安全・・」とコメントされたこともあり、さまざまな意見が寄せられています。「裁判官は介護の現場をしらない」「これでは介護をする人がどんどんいなくなる」という感情的な話が多いようです。
確かに、現場の状況にそぐわない首をかしげるような判例がたくさん出されています。
特に、難しいのは、今回のような認知症高齢者による事故です。
これが認知症ではない高齢者の場合、介護スタッフが「ゆっくり食べてくださいね…」と説明すれば理解できますし、何度も誤嚥をして苦しい思いをしているであれば、本人がゆっくり食べるようにするでしょう。また、「誤嚥や窒息のリスクが高いので、食事内容の変更が必要ではないか」と提案して、納得すればそれで済む話ですし、それを本人が拒否をして「普通のごはんを食べたい…」、家族も「本人の好きなものを食べさせて‥‥」というのであれば、それは一定の自己判断・自己責任が伴います。
しかし、述べたように、認知症高齢者の場合は、「ゆっくり食べて…」という声掛けにも意味はなく、「食事の変更」を提案・納得してもすぐに忘れてしまいます。それで、窒息死亡事故になれば、「本人は認知症なので自己責任はない」、つまりすべては事業者の責任という判決になるのです。これは誤嚥・窒息事故だけではありません。「予測不可能な行動を起こすことは予見可能性があった…」などという判決がでれば、「どこまでやればいいんだよ」という話にならざるを得ません。
しかし、これは「裁判官が介護の現場をしらないから、このような判決になったのか」という、単純な話ではないのです。
それは「介護サービスは契約」が大前提だからです。
民事裁判の場合、その入所者と契約し、受け入れた時点で、事業者と入所者(その家族)との間には「安全配慮義務」が生じます。刑事事件(業務上過失致死)と違うのは「介護ミスをしなかったから責任はない」というものではなく、受け入れた事業者は、入所者が安全に生活できるよう、発生しうる事故を予見・予想し、事故が起きないように十分な配慮をしなければならないのです。
これは、学校でも病院でも、幼稚園でも保育園でも、レストランでも居酒屋でも同じです。
特に、介護サービス事業の対象者は、身体機能・認知機能に低下した要介護高齢者です。誤嚥窒息、転倒転落、溺水や熱傷、異食などの周辺症状(BPSD)など、あらゆるケースに想定し、万全の安全対策を構築しなければなりません。そしてそれは24時間365日続きます。その安全配慮義務を満たせる生活環境を整えられないのであれば、「その入所者を受けいれるべきではない」というのが、民法上の契約の大前提なのです。
しかし、そんなことは、実際に可能なのでしょうか・・・
?特養ホームの窒息死亡事故 損害賠償裁判の論点と課題 (下) に続く
【関連コラム リスクマネジメント】
【r040】 介護施設・高齢者住宅の介護事故とは何か
【r041】 介護事故の法的責任について考える (法人・個人)
【r042】 介護事故の民事責任について考える (法人・個人)
【r043】 高齢者住宅事業者の安全配慮義務について考える
【r044】 介護事故の判例を読む ① ~予見可能性~
【r045】 介護事故の判例を読む ② ~自己決定の尊重~
【r046】 介護事故の判例を読む ③ ~介護の能力とは~
【r047】 介護事故の判例を読む ④ ~生活相談サービス~
【r048】 介護事故 安否確認サービスにかかる法的責任
【r049】 介護事故 ケアマネジメントにかかる法的責任
【r050】 「囲い込み高齢者住宅」で発生する介護事故の怖さ
【r051】 高齢者住宅事業者の過失・責任が問われる介護事故
【r052】 介護事故の法的責任について積極的な社会的議論を
この記事へのコメントはありません。