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特養ホームの窒息死亡事故 損害賠償裁判の論点と課題 (下)

愛知県春日井市の特別養護老人ホームで、職員らが見守りを怠った結果、入所していた女性(当時81歳)が食べ物を喉につまらせて死亡したとして、遺族が施設側に計約3550万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、名古屋地裁であった。斎藤毅裁判長は施設側の注意義務違反(安全配慮義務違反)を認定し、計約1370万円の支払いを命じた。

食べ物を喉につまらせ81歳死亡、特養側に1370万円支払い命令…地裁「危険性予見できた」


「特養ホームの窒息死亡事故 損害賠償裁判の論点と課題 (上)」より続く

介護事故の法的責任を高める二つのギャップ

介護リスクマネジメントの基本セミナー(実務者講習)を、年に10回程度、事業所や団体向けに行っています。その中でも、「事業者敗訴が続く、介護事故の損害賠償についてどう思うか…」という質問は増えています。その背景には「裁判官は介護の現場を理解していない」「どこまで介護すれば法的責任をクリアできるのか」という不安や苛立ちがあります。わたしも特養ホームの現場で介護をしていたので、「マンツーマンでない限り避けられない事故はあるよね」「すべてが事業者、スタッフの責任だといわれると、やってられないよね」という気持ちはよくわかります。
その背景には二つのギャップがあると考えています。

一つは、介護に対するイメージのギャップです。
特養ホームや高齢者住宅を含め、介護サービス事業は「安心・快適」というイメージで語られることが多いのですが、その対象は身体機能・認知機能に低下した要介護高齢者です。転倒すれば骨折し、頭部を強打し、唾液が少なくなり嚥下能力も低下しているため誤嚥・窒息する可能性も高くなります。実は、私も介護現場にいた時に、半身まひの入所者を転倒させたことがあります。それは「右を向いて左を向いた時には」というように、一瞬のスキで起こります。特に認知症高齢者は予測できない行動を起こすこともあります。その時は、骨折も打撲もなかったのですが、たまたま運がよかったにすぎません。
それは事故だけではありません。感染症が蔓延すると重篤化する可能性は高く、地震や火災が発生すると、ほとんどの人は自力で逃げることができないため大災害に発展します。介護サービス事業、介護施設・高齢者住宅事業に対する「安心・快適」という社会認識と、介護現場の事故・感染症蔓延・災害対策の難しさを抱える事業者との隔たりが、あまりにも大きいのです。

もう一つは、「介護サービス契約」と「社会的役割」のギャップです。
前回、「特養ホームの窒息死亡事故 損害賠償裁判の論点と課題 (上)?」で、「介護サービスは契約」だという話をしました。民事裁判の場合、入所者を受け入れた時点で、事業者と入所者(その家族)との間には「安全配慮義務」というものが生じます。その安全配慮義務を満たせる生活環境を整えられないのであれば、「その入所者を受けいれるべきではない」「受け入れた以上安全配慮義務が生じる」というのが、民法上の契約の大前提です。
その一方で、特養ホームは社会福祉事業として「緊急性の高い認知症高齢者」の優先受入を求められています。「事故リスクの高い認知症高齢者はお断り」になれば、その社会的役割を果たすことはできません。また、高齢者は入所後に加齢によって要介護状態は重度化し、認知症を発症することもあります。「認知症になったから、事故リスクが高くなったから退所」ということは認められていません。「施設内で発生した事故に関して事業者は一切の責を負いません」などと、駐車場の張り紙のような契約をしても、それは法的に無効です。

この二つのギャップ、矛盾によって、生まれたリスクを一身に背負っているのが、現場の介護スタッフです。今回の民事裁判のように死亡事故の裁判になれば、一千万円以上の損害賠償が認められることになります。金銭的な問題だけではなく、介護スタッフ個人が業務上過失致死などの刑事責任を問われたり、ケアマネジャーや介護福祉士などの資格停止・はく奪になったりする事例もでてきています。それは明日、あなたの事業所で起きるかもしれませんし、あなたが当事者になるかもしれないのです。この「重すぎる安全配慮義務」が適切に見直されなければ、介護の仕事など怖くてできないのです。


事業者側の介護リスクマネジメントの対策は大きく遅れている

ただ、これは社会認識や制度の問題だけではありません。
当の介護サービス事業者のリスクマネジメントの対策が、大きく遅れているからです。
介護リスクマネジメントを推進する管理者は、その土台として介護事故の事業者責任に対する最低限の法律知識はもっていなければなりません。
しかし、「介護サービス上発生した事故の法的責任について説明できますか?」「今回の裁判の課題がどこにあるのか説明できますか?」と問うと、残念ながら手は上がりません。わたしのリスクマネジメントセミナーの参加者は、管理者や介護主任などの現場責任者が中心ですが、法人内のリスクマネジメントを主導すべき彼らでさえも、自分たちの介護サービス上の法的責任はどこまで及ぶのか、介護事故の法的責任とは何か、刑事上の責任(業務上過失致死など)、民事上の責任(損害賠償請求)について、どのように裁判所は判断しているのか、その判例の論点・課題はどこにあるのかを理解していないのです。

このコラムを読まれているのは介護現場の方が多いと思いますが、皆さんはどうでしょう。
今回発生した窒息死亡事故の判例について、「窒息事故が発生した場合の裁判の論点は何か」「予見可能性や結果回避義務など、事業者(介護スタッフ)の過失はどのように判断されたか」、そして、それを踏まえて、「かきこんで食べる認知症高齢者の窒息リスクと裁判の課題」について、かみ砕いて議論することができるでしょうか。「ずっと見守りすることなんて無理だよ」「裁判官は現場を知らなさすぎる」というだけでは、介護のプロとは言えません。

それは、言い換えれば、リスクマネジメントの基本的な対策ができていないということです。
最近は、「リスクマネジメントに力を入れている」という事業者は増えてきました。行政からの指導もあり、ほとんどの事業者で「介護事故報告書」「介護マニュアル」を整備し、「リスクマネジメント委員会」を行っています。ただ、もう少し突っ込んで話をきくと「事故報告書は作ってハンコを押して、綴って終わり」「リスクマネジメント委員会は担当者だけで他の人は興味なし」「介護マニュアルはあるけど、誰も守っていないし、その内容もしらない」というケースが大半です。

それはリスクマネジメントではなく、リスクを拡大させるだけの逆効果の対策です。
「事故報告書で以前にも同じような事故が報告されていたのに、対策が取られていないじゃないか」
「介護マニュアルに書かれている通りの、食事の見守りができていないじゃないか」
「リスクマネジメント委員会では、Aさんは見守りと緊急対応を強化するとなっているじゃないか」
と、原告の弁護士の主張を裏付ける、「予見可能性+結果回避義務違反」の事業者過失を証明する資料にしかならないからです。

これは、入所時の説明やケアカンファレンスでの本人・家族への説明も同じです。
介護に対する「安心・快適」と「事故予防策の難しさ」のギャップが、裁判や家族トラブルの背景にあると言いましたが、そのギャップを埋めるのは事業者の責任です。入所時には「わたしたちプロにお任せください」「安心・安全・快適」とアピールしておいて、「転倒・骨折」「窒息・溺水で死亡」となれば、家族からすれば、「どうなっているんだ」「安心・快適と言ったじゃないか」と不信に思われるのは当然です。

【リスクマネジメントができていない事業者の特徴(アンケート抜粋)】

◆ 「安心・快適」をアピールするだけで、事故や感染・災害に関する説明をしていない
◆ 事前に説明・家族面談を行って、信頼関係が構築できる家族か否かを判断していない
◆ アセスメントが十分に行われず、事故リスクの情報が現場に伝わっていない
◆ ケアカンファレンスで事故リスクや対応策、対応の限界について家族に説明していない
◆ カンファレンスに家族参加を求めず「サインをして送り返してもらう」になっている
◆ 転倒や誤嚥が起きても、軽易な事故だからと家族に報告・説明しないことがある。
◆ ケアマネジメントの事故リスクの情報が、全スタッフに周知されていない。
◆ 介護事故の予防対策は、各スタッフの知識・技術・経験にゆだねられている
◆ 車いすやストレッチャーなど定期的な設備備品のメンテナンスが行われていない
◆ スタッフの知識・技術・経験によって、やっていることがバラバラ。
◆ 事故の初期対応・緊急対応は、各スタッフの臨機応変な対応に任されている。
◆ 介護マニュアルはあるが、事務所にしまってあるだけで、その内容は誰も知らない
◆ 介護事故報告書を読んでも、反省文や言い訳ばかりで何が起きたのかよくわからない
◆ リスクマネジメント委員会で何が行われているのか、担当者以外は無関心
◆ 事故やトラブルが起きても「わたしの時でなくてよかった・・・」と他人事
◆ 定期的に個別面談やカンファレンスなど家族の意見を聞く機会がもてていない。

「自分たちのサービスには過失がない」と思うのであれば、曖昧にせずに徹底的に戦うべきだと考えています。その結果「あまりに理不尽だ」と思う判決が出たのであれば、行政に「これではとても介護できない」「事故リスクの高い認知症高齢者は受け入れられない」と訴えるべきです。
ただ、それは介護事故対策、リスクマネジメント対策ができているということが前提です。「ケアマネジメントも事故予防対策の説明も不十分」「事故予防対策は各個人に委ねられている」「事故報告書はあるけど改善策が示されていない」というレベルでは、介護サービス事業者として最低限の役割を果たしていないと断罪されても、仕方ないのです。

介護リスクマネジメントができていない事業者は消えていく

最後に、セミナーでお話している「介護リスクマネジメントの誤解」を3つ挙げておきます。

① リスクマネジメントの目的は「介護事故を減らすこと・なくすこと」ではない。
介護のプロとして、事故予防対策や感染症対策を行って、事故や感染症の発生を抑制することは事業者の責務(安全配慮義務)ですが、事業者・スタッフが努力をしても、事故をゼロにすることはできません。認知症高齢者は予測できないような行動を突然起こすこともありますし、人間が人間を介護しているのですから、一定のミスや時間的なスキは必ず発生します。「介護事故ゼロ」などというスローガンを掲げている事業者がありますが、それでは「たまたま事故が起きた時に、その現場にいた介護スタッフが悪い」ということになってしまいます。
介護の世界では転倒リスク、誤嚥リスクという言葉を使うため、「事故=リスク」「リスクマネジメント=事故予防対策」と考えがちですが、介護リスクマネジメントのリスクとは、転倒事故や骨折事故が、スタッフの疲弊や家族からの感情的なクレーム、優秀なスタッフ「燃え尽き症候群」などに拡大しないようにすることです。介護リスクマネジメントの目的は、働いている介護看護スタッフを事故から波及するリスクから守ることです。

② 介護リスクマネジメントは、すべての業務の土台となるもの
リスクマネジメントは「介護事故報告書」「リスクマネジメント委員会」など、普段の業務にプラスして何か特別な対策をすることだと思っている事業者は少なくありません。だから「リスクマネジメントは大変」「忙しいのにリスクマネジメントの対策にまで手が回らない」ということになるのです。
リスクマネジメントの実務は、図のように日々の介護看護業務、入所者選定から入所判定委員会、入所時の説明、ケアマネジメント、ケアカンファレスまで、現在行っているすべての業務・サービスをリスクマネジメントの視点から見直すということです。
自分がいま行っている業務は、リスクマネジメントとどう関係するかを理解すれば、
「高齢者、家族には、事故リスクや身体拘束禁止のことなど、きちんと説明しなきゃ」
「ケアカンファレンスには家族は絶対参加、事故リスクについて同意を得ないといけないな」
「この家族は、態度も悪いし、こちらの説明もほとんど聞いていない。要注意だな」
「新人研修は、リスクマネジメント・事故予防対策を基本とするように改めよう」
いま行っている業務の中に、リスクマネジメントに関係するものがたくさんあるはずです。介護看護、生活相談員、ケアマネジャー、栄養士など、すべてのスタッフがリスクマネジメントを土台にした業務を行えば、無駄な動きは減りますし、「事故が怖い」「コールが怖い」といった介護業務のストレスからも解放されます。それがチームケアにつながります。


③ 介護リスクマネジメントは「介護現場の責任・仕事」ではない
「リスクマネジメントは介護スタッフの仕事・責任だ」と思っている経営者・管理者が多いのですが、この誤解が、リスクマネジメントが進まない最大の理由です。
介護経営というのは、「経営管理」「ケアマネジメント」「リスクマネジメント」という三つのマネジメントで成り立っています。図のようにそれはそれぞれ分離しているものではなく、「介護事故の損害賠償の請求や離職率の増加」「アセスメントによる事故予防対策の検討、ケアカンファレンスでの事故リスクの説明」「介護システム設計・サービス設計」など三位一体の関係にあります。だからリスクマネジメントができていない事業者は、事故やトラブルが多発し、介護スタッフが逃げ出し、サービスも経営も安定しなくなるのです。
リスクマネジメントとは、言い換えれば「介護看護スタッフが安全に安心して働ける介護労働環境の整備」であり、それは経営者・管理者の第一の仕事なのです。


以上ここまで、春日井市の特養ホームで発生した窒息死亡事故の損害賠償裁判の論点と課題、そして介護サービス事業者のリスクマネジメントの遅れと、その重要性について述べてきました。
これから、高齢者住宅、介護保険施設、介護サービス事業は二極化の時代を迎えます。それは「経営の二極化」「介護の質の二極化」です。これから2025年に始まる「地域包括ケア時代」を迎えるにあたり、経営安定のキーワードになるのは間違いなく、このリスクマネジメントなのです。

【関連コラム リスクマネジメント】
【r040】 介護施設・高齢者住宅の介護事故とは何か 
【r041】 介護事故の法的責任について考える (法人・個人)  
【r042】 介護事故の民事責任について考える (法人・個人) 
【r043】 高齢者住宅事業者の安全配慮義務について考える 
【r044】 介護事故の判例を読む ① ~予見可能性~ 
【r045】 介護事故の判例を読む ② ~自己決定の尊重~ 
【r046】 介護事故の判例を読む ③ ~介護の能力とは~  
【r047】 介護事故の判例を読む ④ ~生活相談サービス~
【r048】 介護事故 安否確認サービスにかかる法的責任  
【r049】 介護事故 ケアマネジメントにかかる法的責任 
【r050】 「囲い込み高齢者住宅」で発生する介護事故の怖さ  
【r051】 高齢者住宅事業者の過失・責任が問われる介護事故 
【r052】 介護事故の法的責任について積極的な社会的議論を 




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