RISK-MANAGE

介護事故の法的責任について、積極的な社会的議論を・・


介護事故対策の遅れの最大の原因は、その法的責任、サービス提供責任について、真正面から議論できないことにある。認知症高齢者の事故予防には限界があり、「どこまでが事業者責任なのか」を整理しなければ、介護スタッフは激減し、介護業界は立ち行かなくなる。

管理者・リーダー向け 連載  『介護事業の成否を決めるリスクマネジメント』 052


ここまで、介護事故の定義と、その責任の範囲、裁判事例について整理してきました。
こうして整理すると、法的責任が問われるのは直接介助中に発生した介護事故だけではないということ、介護サービスに属するものだけではないということ、またその対象は要介護高齢者だけではないということがご理解いただけるかと思います。

しかし、法的責任の重さ、安全配慮義務の重要性については理解しても、「納得した・・」という人はそう多くはないでしょう。それは介護現場の負担が大きくなりすぎ、このような一方的な法的判断が続けば、高齢者住宅や介護保険施設で、高齢者介護はできなくなるからです。
特に、今後、大きな課題となるのが「認知症高齢者」の事故対策です。

現行の判例だと、事故リスクの高い認知症高齢者は断るしかない

一つは、予見可能性の問題です。
【r44】 介護事故の裁判事例を読む ~予見可能性~ 🔗  で身体的な要介護高齢者と認知症高齢者では、「予見可能性の判断」が変わってくることを述べました。
認知症高齢者に対して「ここで待っていてくださいね」という指示は、事故の予防策としては全く意味がありません。立ち上がりや歩行不安定な認知症高齢者からは、目を離してはならず、想定外の行動に対して、すぐにケアできる体制を構築しなければならないということです。

それは歩行中の転倒、転落だけではなく、他の入居者に対する加害行為も同じです。
「認知症だから予測不可能な行動を起こすことは、予見可能だった・・」ということになれば、発生した事故はすべて「予見可能性あり」となり、そのすべての対策を取っておかなければなりません。
しかし、どれほど手厚い介護体制を採っていても、全ての認知症高齢者に対して「目を離さずに、予測不可能な行動にすぐに対応」することは、実質的に不可能です。

もう一つは、「自己決定」です。
認知症高齢者は、事故リスクに対する理解、判断力は大幅に低下していますが、「自尊心」まで低下しているわけではありません。また、認知症のタイプによっては、「まだら認知症」と呼ばれるように、その時の状況によって、判断力や症状にはムラがあります。

【r45】介護事故の裁判事例を読む ② ~自己決定~  の事例にあるように、「トイレは転倒のリスクがあるので付き添いますよ」と丁寧に説明しても、それをどこまで本人が理解できているのかわかりません。何度も説明すると「うるさい」「付いてくるな」と、手を振り払って怒り出す人もいます。
それで転倒、骨折すればどうするのか、認知症高齢者の自己決定はどこまで尊重すべきなのか、本人の意思に背いても付き添うべきなのか、事業者・スタッフは免責となるのか・・・など、非常に難しい判断を迫られることになります。

認知症高齢者の介護事故対策の難しさが、如実に表れているのが、【r46】 介護事故の裁判事例を読む ~介護の能力(限界)  のケースです。
この事例の場合、認知症高齢者の想定される転倒事故に対して、できる限りの対策をとっていたということが適切に評価され、「事業者の責任なし」「安全配慮義務を果たしていた」とされたのですが、その裁判所の判断の中で大きなウエイトを占めたのが、「ケアマネジャーに対して退所や睡眠剤導入の提案をしていた」ということです。つまり、「認知症で転倒のリスクがあまりにも高いので、ショートステイの介護力では防げない」と事業者は判断していたのです。

これは、【r47】介護事故の裁判事例を読む ~相談サービス~  で述べた、他の入居者に対する加害事故でも同じことが言えます。
仮に、当該ショートステイ事業者が、被害者と加害者のユニットを変えていたとしましょう。それでも「加害女性には認知症で日ごろから暴力行為があり、事故の発生は予見できた」ということは、他の入居者にも同様の加害行為を起こすことも予想できるということです。
その結果、今回の被害者であるGさん以外の他の入居者がケガをした場合でも、「予見可能性があった」と事業者の責任が問われることには変わりありません。事業者は認知症高齢者Hさんは「ケアが難しい」として、退居してもらうしか有効な方法はありません。

この判断は、介護保険施設や高齢者住宅でも同じです。
実際、「予測不可能な事故リスクへの対応」を事業者、介護スタッフが果たすべき安全配慮義務の範囲だとすると、寝たきりなどの身体機能が大きく低下した全介助でなければ、認知症高齢者の受け入れはできません。もちろん、「転倒リスクがあるから」と、車いすからの立ち上がりを制限したり、ベッド柵をつけて離床できないようにするなどの行為は身体拘束です。本人の意思に反した睡眠剤も人権上、適切なケアではありません。

裁判所の判断は、「ケアマネジメント、高齢者介護、高齢者住宅は、安全配慮義務を基礎としたサービス契約であり、その義務を果たすことのできない困難ケースの認知症高齢者は事業者が断るべき」「契約した以上、事業者の安全配慮義務は重い」という民法の大原則に基づくものです。
ただ、その現行の判例を厳格に順守すると、通常のケアでは対応できない事故のリスクの高い認知症高齢者に対しては「受け入れない」、入居後にそうなった場合は、退居を求めることが、事業者が採るべき最も適切な判断だということになるのです。

事故の法的責任に対して積極的な議論を

認知症高齢者の数は、2025年には730万人、2050年には1000万人を超え、国民10人に一人は認知症という時代になります。認知症高齢者の介護は、訪問介護などのポイント介助だけ、また家族だけで行うことは難しくなるため、その対応は認知症高齢者に対応できる介護保険施設やグループホーム、介護付有料老人ホームに求められることになります。
しかし、「予測不可能に行動をすることは予見可能」といった、通常のケアでは不可能ことを「安全配慮義務違反」と断罪されると、歩き回るような事故リスクの高い認知症高齢者は受け入れできません。

入居時だけでなく、入居後の要介護状態の変化による途中退居をどうするかという問題もでてきます。
有料老人ホームでは、「周辺症状(BPSD)」と呼ばれる暴言や暴行、興奮、幻覚、せん妄、不潔行為などによって、他の入居者の生命・財産に影響を与える場合、事業者から契約解除ができる規定なっていますが、この「周辺症状が原因となっての退居」は、ケースとしてそれほど多いものではありません。
しかし、「転倒リスクが大きいから退居(契約解除)」が契約解除の要件として認められるかと言えば、現行の契約内容ではできません。特に、サ高住は契約者間の利用権契約ではなく、借地借家法に基づく「借地権」ですから、「事故リスクが高いから退居してください」というのは違法です。

もちろん、この議論は事業者のサービス提供責任を放棄するためのものではありません。
高齢者介護は、医療や看護と同じように、高い技術、知識、経験が求められる専門性の高いプロの仕事です。特に、その対象は身体機能、判断力の低下した要介護高齢者ですから、認知症の有無にかかわらず、それぞれの高齢者が安全に生活できるように、最大限のケア、配慮を行うことはそれぞれの介護スタッフ、事業者の責務です。

この問題が袋小路に陥っている最大の原因は、当事者である介護業界が、「法的な問題」「裁判所は現場を理解しない」といった感情的、表面的な議論だけで、法的責任の議論、リスクマネジメント対策が大きく遅れていることにあります。

リスクマネジメントのセミナーでは、「介護事故はゼロにすることはできないよね・・」「介護事故のすべてが事業者、スタッフの責任ではないよね」という話を聞きますが、述べてきたように、「どんな時にどのような責任が問われるのか」についてきちんと整理して説明できる人は、ほとんどいません。

不正なコピー&ペーストのケアプラン、囲い込みなどが横行し、国交省や一部のサ高住業者からは、「私たちは単なる賃貸住宅だから、介護事故は無関係」といった、サービス提供責任が目をそらすようなトンチンカンな責任回避を始めています。
中には、「事故やトラブルが起こっても事業者の責は問わない」と入居時に念書をとるというところもあると聞きますが、そんなものは法的に無効ですし、何の役にも立ちません。
残念ながら、国交省や厚労省を含め、業界全体として真正面から、介護事故責任、サービス提供責任を議論する環境さえ、いまだ整っておらず、経営者も「現場任せ、スタッフ任せ」にしていることが、この問題が解決しない最大の原因なのです。

ただ、この介護事故の法的責任の検討が遅れれば遅れるほど、その歪みは拡大していきます。
この事故リスクは、入居者のリスクであると同時に、ケアマネジャーや介護看護スタッフの直面するリスクでもあります。
この20年の間に、85歳以上の高齢者は2倍になり、重い認知症、重度要介護高齢者が激増する一方で、労働人口は減少していきます。高齢者、家族の権利意識は高くなっており、介護事故の損害賠償請求は増えています。無資格、未経験のまま介護の仕事を始めて、よくわからないままに介助をしていると、ある日突然、莫大な損害賠償を請求され、業務上過失致死に問われることになるのです。
そうすると、「大変なだけでなく、リスクの高い仕事などできない・・」と、介護の仕事をしたいという人は、ますます減っていくでしょう。

これからの介護業界、高齢者住宅業界において、最も重要なことは、介護労働者が安全に、安心して働ける労働環境を整えることです。
今こそ、きちんと「介護事故リスク」「介護サービスの提供責任」に、きちんと向き合い、「どこまでが事業者の責任なのか」「認知症高齢者の事故リスクへの対応」について、社会的議論を喚起すると同時に、「リスクマネジメントのためには何を行わなければならないのか」「ケアマネジメント、ケアカンファレンスの方法」「本人・家族に対する事故リスクの説明方法」について、しっかり整理すべき時にきているのです。




「責任とはなにか」 介護事故の法的責任を徹底理解する 

  ⇒ 介護施設・高齢者住宅の介護事故とは何か  🔗
  ⇒ 介護事故の法的責任について考える (法人・個人) 🔗
  ⇒ 介護事故の民事責任について考える (法人・個人) 🔗
  ⇒ 高齢者住宅事業者の安全配慮義務について考える 🔗
  ⇒ 介護事故の判例を読む ① ~予見可能性~  🔗
  ⇒ 介護事故の判例を読む ② ~自己決定の尊重~ 🔗  
  ⇒ 介護事故の判例を読む ③ ~介護の能力とは~ 🔗 
  ⇒ 介護事故の判例を読む ④ ~生活相談サービス~ 🔗
  ⇒ 介護事故 安否確認サービスにかかる法的責任 🔗
  ⇒ 介護事故 ケアマネジメントにかかる法的責任 🔗
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  ⇒ 事業者の過失・責任が問われる介護事故 🔗
  ⇒ 介護事故の法的責任ついて、積極的な社会的議論を 🔗

「なにがダメなのか」 介護事故報告書を徹底的に見直す

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「介護事故に立ち向かう」 介護リスクマネジメントの鉄則

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