52歳、食品工場勤務。一人暮らしの母が骨折し入院。介護が必要になる可能性が高いと説明を受ける。妻も私も仕事があり、姉も遠方で介護はできず、マンションに引き取ることも難しい。実家は築50年の一戸建で要介護高齢者の生活には向かない。多少の預貯金、年金はあるものの、長期的・定期的な金銭援助も難しい・・・
高齢者・家族向け 連載 『高齢者住宅選びは、素人事業者を選ばないこと』 056
【介護問題の発生】
私は52歳、とある中堅の食品工場で、検品課の課長をしている。
家族は、妻と高校生と中学生の子供の四人家族でマンション暮らし。実家は車で1.5時間ほどの距離にあり、父が亡くなった10年前から82歳の母が一人で生活している。
ある日、会社に「お義母さんが骨折して入院した」と妻からの電話。先に妻が病院に行ってくれたので、仕事が終わってから病院に駆けつけ医師から説明を受ける。そこで、左大腿骨の骨折で2~3週間程度の入院になること、年齢的に介護が必要になる可能性が高いことを告げられる。
親の介護問題は、同級生や会社の同僚の中でも「弟が介護離職したがその後が心配」「親の介護で妻と揉めている」といった話題も多くなっており、「我が家もそろそろ…」と考えなくはなかったが、母も元気に手芸教室やボランティアに出かけており、まだ先のことだろうと考えていた矢先のことだった。
元気をなくし、「迷惑をかけてごめんよ」と涙ぐむ母。
上司の製造部長に相談し、事情を説明し一日有給をもらう。
翌日、遠方に住む姉がやってきて、これからのことについて相談するも義母の介護を抱えており、戻ってくることは難しいとのこと。妻も、近くの会計事務所で経理の仕事をしており、私もサラリーマンのため介護に専念できる状況にはない。母を引き取って自宅で介護することも検討するが、マンション住まいのため、母のために一部屋空けると子供二人(娘と息子)を同室せざるを得ない。近くにアパートを借りることや介護付有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅なども考えたが、母は年金額がそれほど多いわけではなく、また私も姉も、これから子供にお金がかかる年齢であり、毎月、多額の金銭的援助ができるわけではない。預貯金も年齢相応の平均程度はあるが、これから要介護状態が重くなることを考えると、今からそれを取り崩して生活すると、将来破綻することは目に見えている。
あれもダメ、これも難しい、金銭的余裕も十分ではない、これからどうなるのか…と考えると、不安ばかりが大きくなり、眠れないまま仕事に向かった。
【上司・人事に相談】
翌日、出社すると上司の製造部長に呼ばれ、事情を簡単に説明する。
私だけでなく「親の介護」に関する勤務調整や相談は増えているらしい。「とりあえず、人事に相談してみてはどうか」と言われる。その時は「親の介護問題を人事に相談しても…」「下手に相談すると…」と思ったが、部長がその場で人事部にアポイントを入れてくれ、翌日、東京の本社へ向かった。
そこで待っていてくれたのは、食品工場の人事担当者ではなく「人事課 介護担当相談員」という肩書の出雲さんという女性だった。
出雲さんが聞いていたのは「母親が骨折して入院。介護が必要になる可能性がある」という情報のみ。
何を話せばよいのか、また会社にプライベートな問題を、どこまで話をすればよいのかと戸惑ったが、開口一番、「プライベートな情報については秘密厳守します。人事にも反映されません」と言ってくれたことから、張っていた肩が少し楽になった。出雲さんは社会福祉士とケアマネジャーの資格を持っており、介護現場での相談経験も豊富とのこと、母の現状や病院の先生からの話、家に引き取れないこと、妻も姉も介護できないこと、子供のことやお金のこと、今後どうなるのか不安に思っていること、どうすればよいかわからないことを、思いつくままに話をした。介護に対する経験も知識もないため、頭の中が混乱したままの支離滅裂な話だったが、彼女が上手く聞き取ってくれたことや適切なアドバイスで、現状の問題点を整理することができた。
◆ 一人暮らしの母が転倒・骨折して介護が必要になるかもしれない
◆ 妻も私も仕事があり、姉も遠方であるため介護できない
◆ 今、住んでいるマンションに、母をひきとることは難しい
◆ 実家は築50年の一戸建てで要介護高齢者に向かない
◆ 預金2000万円程度、年金月15万円程度、長期的・定期的な金銭的は難しい
◆ 今すぐに何をすべきなのか、これからどうすればよいかわからない
① リハビリをしっかりとやること
アドバイスの一つは、早くからきちんとリハビリを行うということ。
以前は、高齢者が大腿部の骨折や脳梗塞になると、そのまま寝たきりや車いすになるケースが多かったが、最近では、早期にリハビリを行い、生活環境さえ整えば、以前と変わらず自宅で生活できるようになる人も多いという。リハビリ専用の病院も増えており、今の病院から退院後、一ヶ月~二ヶ月程度入院して集中的にリハビリを行うことができる(そういえば、病院の先生からもリハビリの話がでたが、要介護になるというショックでよく聞いていなかった)。ただ、母本人が一番大きなショックを受けており、認知症を発症するリスクもあるので、可能な限り面会に行き、「心配ないよ」「頑張ってリハビリしよう」と不安をやわらげ、励ますようにとアドバイスを受ける。
② 介護保険の申請・生活環境の整備
二つ目は、介護保険の申請・生活環境の整備に向けて。
インターネットで調べたところ「要介護認定調査の申し込み」「地域包括センターへ相談」という情報があったので、どうすればよいのかを聞いた。出雲さんによると、今すぐにはまだ骨折の治療が優先で、要介護認定調査の申し込みは、その治療経過によって状態が安定し、リハビリによって介護の必要度やその方向性が見えてきてからになる。その後のことは、骨折の治り具合やリハビリでの回復状況によって、それから対応すればよいとのことだった。
【母は自宅に戻って生活、介護休業の取得】
母は最初の病院で手術を行い、二週間後にリハビリテーション病院に転院した。
リハビリテーション病院は、私たちの家に近い場所を選び、私や妻、子供(孫)達も加わり、ほとんど毎日、誰か面会に行くことができた。本人も「なんとか家に帰りたい」とリハビリを続けた結果、若干歩行が不安定で杖が必要となるものの、自力で歩行やトイレに行くことができるようになった。
リハビリ病院の入院中に要介護認定調査を行い「要介護1」。ケアマネジャーさんも決まり、入浴とリハビリを兼ねて週に二回の通所リハビリの利用を提案された。買い物も心配したが、母はこれまでからスーパーの宅配サービスを利用していたことから、それ以外に足りないものは私たちが訪問した時に買いに行くということになった。
また、我が家のトイレは古く狭いので、ルートへの手すり、入口の段差解消などを含め、住宅改修を行うことにした。この住宅改修については、母の一時外出に付き添って、ケアマネジャーさん、リハビリ病院の先生(作業療法士さん)も実家に来ていただき、大工さんも一緒になって必要な改修について検討してくれた(改修費用の一部は介護保険から戻ってくる)。
こうして着々と自宅に戻る準備が進む一方で、「本当に一人で大丈夫だろうか」「何か予想外のことがでないだろうか」という漠然とした不安は消えなかった。
日々の料理や通所リハビリの準備、宅配サービスへの対応はできるのか、また自宅で転倒したりしないか、家に閉じこもりがちにならないか…。母も、私たちにできるだけ迷惑にならないように、「一人でも大丈夫」というものの、転倒、骨折したことで自信を失っており、これまで通りの生活ができるかどうか不安を感じている様子だった。その話を、退院後の在宅復帰の準備状況の報告に合わせて、出雲さんに相談すると「介護休業を検討してみては…」と勧められた。
介護休暇・介護休業については、最初に説明を受けたが、母の場合は、私が直接、排泄介助や入浴介助をする必要もなく、どちらかと言えば「介護休業を取らなくていいように…」「会社にできるだけ迷惑かけないように…」と土日を使って(有給も二日使った)、対応をしてきたので「今さら、介護休業なんて…」という気持ちは大きかった。
ただ、出雲さんの話を整理すると、
① 家族も本人も、自宅での生活に向けて不安を感じるのは当然のこと。
② 準備をしたつもりでも、予想しない問題が出てくる可能性がある。
③ 「慣れた家だから」と過信するため、退院直後の事故は多い。
④ 家に戻ってすぐに再び骨折すると、自宅で生活できなくなるリスクが大
ということだった。
電話を切った後に送られてきたメールには、「お仕事やお立場もあると思いますが、一度課内のみなさんや上司の方とご相談ください」というメッセージと共に、「介護休業申請書」「介護休業取得の流れ」「介護休業に向けての業務調整予定表」という3つの書類が添付されていた。
再び、製造部長に相談すると驚いたようだったが、「まぁ、勤続20年では連続で二週間休みをとるんだし(社内制度)、連絡もつくんだから、大丈夫じゃないか…」と課内での調整を進めるよう指示を受け、部としてもバックアップしてくれることになった。
【介護休業の取得とその後】
それほど繁忙期ではなかったことや、課内のスタッフの協力、予定されていた外部業者との打ち合わせも前倒しすることで、母の退院の5日前から1ケ月(実際は35日)の予定で介護休業をとることができた。今回は私が介護するわけではないのだが、結果的に休みをもらってとてもよかった。
介護休業を退院の5日前から取ったのは、自宅の住宅改修に立ち会うためだ。
合わせて、退院後の介護サービスについて、現在入院中のリハビリ病院のソーシャルワーカー、医師、作業療法士と、在宅で母の介護をお願いするケアマネジャーや通所リハビリ(週二回)、訪問介護(週二回)、住宅改修の会社の方、介護ベッドの福祉用具の方など、お世話になる皆さんとの合同ケアカンファレンスに出席することができた。
病院で行われたケアカンファレンスに母も一緒に参加した。これだけたくさんの人が、母がどうすれば安全・快適に生活できるか、転倒を繰り返さないため何が必要か、何に注意してサービスを利用するか、また母にもどんな点に注意をして生活してもらうか…等について真剣に議論していただいているのを聞いて、家族が漠然と考えていた介護と、専門的・科学的に提供されるプロの介護とは、ここまで違うものかと驚いた。これまでも、「介護の仕事は、お風呂入れたり、オムツ替えたり大変な仕事だ」「家族の代わりに介護をしてもらってありがたい」とは思っていたが、家族で介護をしていても、とてもここまでの対応はできない。
また、実際に自宅にもどって生活を始めてみると、宅配サービスの置き場所や連絡、郵便ボックスの位置、灯油ヒーターの給油、電子レンジの買い替え(以前から調子の悪かったらしい)など、些細なことではあるが、これまで当たり前にできていたことが少し難しい、手間がかかる…ということがたくさんあった。それをどうするのか一緒に考えたり、場所を移したり、買い物に行ったりすることができた。また、火災のリスクを考えて、ガスコンロからIHコンロに変えた。
母にとっては、私が一ヶ月の休みを取って家に帰ってきたことは「安心」というだけでなく、「嬉しい」という気持ちが大きいようで、精神的にも余裕ができ、元気になった。私の前では言わないけれど、友人・知人から退院お祝いの電話がかかってきたとき、「息子が一ヶ月も休みを取って帰ってきてくれたのよ…」と何度も言っていた。「母が昔の写真を出して来て、葬儀の時の見栄えの写真を今から選んでおく」と笑い、「お前たちのへその緒はあのタンスにしまってある」と、私が知らなかった生まれたときの話や小さいころの話を聞くことができた。
私も、休みを取らなければ、「自宅に引きこもり切りになっていなだろうか」「退院後の生活に適応できるか」と仕事中も心配することになっただろうし、途中でまた急に有給休暇をとる必要があったかもしれない。母が無理をしてまた転倒したり、閉じこもりがちになったり、うつ病や認知症になっていたかもしれないとも思う。
結局、一ヶ月の予定でとった介護休業だったが、母が「大丈夫だから早く仕事に戻れ」というので、実際は3週間程度に縮まった。今は、私が家でネットを見たり、仕事を連絡に対応できるようにひいたZoomを使って、私だけでなく遠方の姉や孫たちとも話をしている。
今回の親の介護問題では、製造部長や課内のみんなだけでなく、人事部の出雲さんには大変お世話になり、とても感謝している。それだけでなく、普段あまり思わないけれど、母や姉からは、「積極的に介護休業の取得や一人一人の社員のことを考えてくれている良い会社だ…」と言われ、その通りだと思い、あらためて感謝している。最近は、同僚などとの集まりでは、「介護休業どうだった?」と聞かれることが増え、現在介護をしているか否かに関わらず、みんなそれなりに気になっているのだろうと思う。
母が一人暮らしに戻ったことで、またどこかで転倒したり、病気になってどこかで介護が必要になるかもしれないが、介護保険のことやいざというときにどうすればよいのか、どんな方法があるのかもよくわかった。社内で困っている人がいれば、積極的に自分の経験を伝えることができればと思っている。
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