高齢者住宅の対象は、判断力や身体能力の低下した要介護高齢者。介護ビジネスは転倒事故やトラブルが発生する可能性が高い難しい事業。しかし、事業者のサービス提供責任の範囲の検討、社会的コンセンサスの議論など、リスクマネジメントの対策は大きく遅れている。
管理者・リーダー向け 連載 『介護事業の成否を決めるリスクマネジメント』 003
高齢者住宅や介護施設のパンフレットには、「安心・快適」といった言葉や、笑顔の写真があふれています。「高齢者介護」のイメージを問えば、「人に優しい仕事」「人の役に立つ仕事」というイメージで答える人が多いでしょう。
しかし、実際は、転倒や骨折などの事故やトラブルの発生する確率の高い事業です。それは事業者にとって、検討すべきリスクが多く、また大きい事業だということです。
① 介護ビジネスの対象は身体機能の低下した要介護高齢者
高齢者の転倒には「視力低下によって小さな段差に気づきにくい」「筋力低下で足先が上手く上がらない」「バランス(平衡)機能の低下」などの老化現象が複合的に関係しています。骨密度が低下しているために転倒すれば骨折、入院加療によって更に筋力が低下、車椅子、寝たきりの生活になる危険性も高くなります。受け身が取れず頭から落ちて頭部を強打すれば、死亡事故になります。
身体機能だけでなく、適応力も低下していきます。
高齢者住宅や介護保険施設において、転倒事故が発生する可能性が最も高いのは、入所・入居後1ヶ月程度の間です。段差の多い自宅で転倒していなかった高齢者も、慣れないバリアフリーの高齢者住宅では転倒するのです。
更に、子供や赤ん坊は、成長によって少しずつできることが増えていきますが、高齢者は逆に、少しずつできないことが増えていきます。身体機能の低下、認知症の発症を含め、体中の様々な機能が、段階的に低下していくということが、高齢者の最大の特性であり、介護サービス事業の最大の難しさです。
② 様々な高齢者が集まって暮らす共同生活の難しさ
二つ目は、集合住宅・共同生活の難しさです。
居室は個室であっても、食事、レクレーションなど、共同生活という側面も強くなります。入居者同士で車椅子を押し合ったり、おやつを分け合ったりするという姿を見かけますが、同様に悪口を言ったり、仲間はずれにしたりというケースもあります。
ひどい物忘れや認知症によるBPSD(周辺症状)が原因となって、大声での罵り合いとなったり、家族を巻き込んで大きなトラブルに発展するケースもあります。「部屋の中からひどい悪臭がする」「禁止場所で隠れてタバコを吸っている」などの事例も発生しており、万一火災になれば、他の入居者も巻き込んで大惨事となります。
歳をとったからと言って、みんな温和で優しい人になるわけではありません。
最近では、気に入らないことに対して暴力を振るうなど、「突然、キレる高齢者」の事件も増えていますが、その背景には認知症が隠れていることが少なくありません。
高齢者の共同生活は、一般の学生寮、社員寮とは比較にならないほど難しいのです。
③ 大きく変化した経営環境・遅れる対策
介護業界にもリスクマネジメントが求められる時代?で述べたように、介護サービス事業は、「サービス提供責任の明確化」「利用者・家族の権利意識の変化」という二つの波が押し寄せているのですが、従来の老人福祉施設はその変化への対応が遅れています。
混乱に拍車をかけているのがノウハウの乏しい異業種・他業種からの新規参入事業者の増加です。「これからは介護サービスの時代」「介護ビジネスは儲かる」と一気に参入・拡大してきたため、「事故・トラブル・リスク」の理解が十分ではありません。
介護業界のリスクマネジメントの取り組みは、それぞれ事業者にとって大きく違いますが、介護業界全体としてみれば、一般の業界よりも100年以上遅れているという人もいます。
④ 介護サービスに対する社会的コンセンサスの遅れ
最後のひとつは、介護サービス事業者のサービス提供責任の範囲、転倒などのリスクに対する法整備や社会的なコンセンサス・議論の遅れです。
述べたように、高齢者住宅・介護保険施設の対象は、身体能力や適応力、判断力の低下した要介護高齢者です。これに認知症が加わると、自分で転倒や熱傷などのリスクの判断ができません。一瞬目を離したすきにシャンプーを口にいれたり、包帯を食べてしまうなどの異食、自分の部屋を間違えて、他の人に暴言を吐くなどのBPSD(周辺症状)もでてきます。
「技術や知識のある介護のプロだから」といっても、24時間365日、付き添えるわけではありません。
どれだけリスクマネジメントを行っても、ケアマネジメントの中で予防策を検討しても、事故をゼロにすることは不可能です。過度な事故予防策をとると、「歩行がふらつくので車いすに乗ってもらう」「トイレは危ないので夜はオムツ」と、本来の介護の目的である「生活の質の向上」と正反対の身体拘束になってしまいます。
しかし、権利意識は高くなっており「転倒した、骨折した」となると、その内容や状況に関わらず、「ちゃんと介護していたのか」「介護サービスの質が低い」「虐待じゃないか」と家族からは厳しい視線が注がれます。民事裁判となると、「裁判官は現場を知らないのではないか」「実際にそんなことが可能なのか?」と感じるような、事業者側に厳しい判断がくだされます。
法的整備・社会的コンセンサスの遅れが介護スタッフの疲弊を招き、離職者の増加によって介護サービスの質が低下、更に事故が増えるという悪循環になっているのです。
このように、高齢者の特性、集合住宅の特性を考えると、高齢者住宅や介護保険施設は、そもそも安易に「安心・快適」と標榜できるような事業ではないということがわかるでしょう。
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