老人福祉の措置から、介護保険への直接契約となり、事業者の「介護サービス提供責任」が明確に。高齢者介護は、高い「生活リスク管理」「安全配慮義務」が求められる仕事であり、介護のプロになるためには、介護リスクマネジメントの理解、ノウハウの習得は不可欠。
介護スタッフ向け 連 載 『市場価値の高い介護のプロになりたい人へ』 009
高齢者介護は「家族介護代替サービス」ではない? で述べたように、2000年の介護保険制度の発足によって、高齢者介護は「家族の代行サービス」から、専門的な知識・技術に基づいて提供されるプロフェッショナルな生活支援サービスへと変化した。
この介護の専門性の強化と合わせて、重くなったのが事業者の「サービス提供責任」だ
2000年まで、福祉施策として行われてきた老人介護事業は、各市の福祉事務所へ申し込み、行政から社会福祉法人への措置、委託によって行われていた。介護保険制度以降は、他の一般サービスと同様に、利用者・家族との直接契約・個別契約となり、各サービス事業者の「介護サービスの提供責任」が明確になった。
この福祉から保険への変更は、利用者の権利意識にも影響を与えている。
高齢者介護の「サービス提供責任」が法的に問われる事案として増えているのが、介護サービスの利用者の生活上・介護サービス提供上発生する「介護事故」だ。
対象となる要介護高齢者は、身体機能・認知機能が低下しているため、筋力低下・視力低下、バランス感覚の低下によって事故のリスクが高くなる。上手く受け身が取れないために、転倒すれば大腿骨の骨折、頭部打撲による脳挫傷など、重大事故に発展する。
しかし、老人福祉法の下で介護が行われていた時代は、転倒や骨折事故がトラブルに発展することはほとんどなかった。事故の報告をすると、逆に家族からは「ご迷惑をおかけします」と言われたもので、損害賠償を請求されたり、裁判になるなどということは考えもしなかった。しかし、現在は、「契約に基づく生活支援サービス」であるため、車いす移乗時の転落によって、骨折・入院となれば、「きちんと介護してもらっていたのか…」と家族から厳しい目を向けられることになる。
ただそれは、当然のことだといって良い。
プロとして介護サービスを提供している以上、「専門性」と「サービス提供責任」は一体的なものだ。家族から苦情や意見を言われると、「嫌だったら家に帰れ」「家族が自分で介護しろ」「クレーマーだ」などと反発する介護スタッフいるが、それは家族と同レベルの介護しか提供できない素人介護だと、みずから認めているようなものだ。「介護の専門性を評価してほしい」「待遇改善のために介護報酬のアップを求める」という一方で、「事故やトラブルの責任は取りたくない…」という話は筋が通らない。
生活上のリスク管理は、介護の重要な専門性の一つ
要介護高齢者の生活支援サービスの基礎となるのは「安全な生活」である。
それは高齢者の生活は、下図に示すような、安全な生活・生命を脅かすリスクが特に高くなるからだ。
要介護高齢者は火災や地震が発生すると一人で逃げ出すことができない災害弱者である。同時に、認知機能の低下によって、タバコの不始末、調理中の着衣着火、ストーブの消し忘れなど出火原因となることも多い。住宅火災(放火自殺者を除く)による死亡者の数は、毎年1000人程度で推移しているが、そのうち7割が65歳以上の高齢者があることが知られている。
感染症や食中毒も大きなリスクである。
高齢者だからと言ってインフルエンザの罹患率が高くなるわけではないが、死亡率は顕著に高くなる。報道されている通り、日本でインフルエンザが原因で死亡する人のほとんどは65歳以上であり、老人ホームの集団感染では多くの人が亡くなる惨事に発展する。
述べたように、生活上の事故も高齢者にとって大きなリスクの一つだ。
2018年の9月に消費者庁が発表したデータによると、2016年に高齢者が「不慮の事故」で死亡した人数は31692人。 その内交通事故は10%、自然災害は5%程度で、残りの85%は、生活上の事故で亡くなっている。特に「誤嚥による窒息」は8493人、「転倒・転落」は7116人、「溺水」は6759人と、それぞれ単独で交通事故死の3061人の二倍以上になることを見ると、そのリスクの高さがわかるだろう。
【外部リンク】 高齢者の事故の状況について(平成30年9月12日)
述べたように、高齢者介護の仕事は、高齢者の自立やQOL(生活の質)の向上を目的として、専門的な知識・技術に基づいて提供されるプロフェッショナルな生活支援サービスだ。
ただ、「できるだけ自立した生活を…」「できることは一人で…」と無理をした結果、転倒・骨折すると自立・QOLの向上という目的からは大きく遠ざかってしまう。一方で、「転倒すると危険だからオムツが安全」「歩行は危険だから車いす」となると、またこれも本人の希望する生活から大きく遠ざかる。事業者の責任になると困るからと、「あれも危険、これもあぶない」と過度に本人の行動を抑制すると、身体拘束の人権侵害となる。
「できないこと、危ないことは全てスタッフが介護する」ということであれば、そう難しいことではない。事故やトラブルなど、要介護高齢者が直面する生活上の「リスクの管理・回避」と「自立・QOLの向上」をいかに両立させられるかが、「生活支援サービス」を提供するプロフェッショナルな介護の腕の見せ所だと言ってもよいだろう。
リスクを共有できれば、介護は変わる
要介護高齢者の生活上のリスクの管理は、大きく二つの視点に分かれる。
一つは、要介護高齢者の生活上のリスク削減の視点だ。
生活上のリスク削減は、大きく「発生予防」と「拡大予防」に分かれる。
排泄介助を例に挙げると、「転倒リスクがあるので、排泄時にはスタッフコールをしてもらおう」というのは事故の発生を予防するものであり、「Pトイレ移乗時に転落しても怪我をしないよう安全マットを準備しよう」は被害拡大の予防策である。食事介助の場面でも、「慌てて食べる癖がある」という高齢者に対しては、見守りや「ゆっくり食べてくださいね」といった声掛け(発生予防)のほか、窒息時の吸引機の準備と緊急対応の手順検討(拡大予防)も必要となる。
もう一つは、事業者・介護スタッフの業務上のリスクの削減だ。
「事故はゼロにできない」「直接介助中の事故でなければ関係ない」と いう単純な話ではない。
介護サービスの対象は要介護高齢者であり、事業者・スタッフには専門的な知識・技術に基づいて、安全に生活できるように十分な配慮しなければならないという重い法的義務が生じている。
介助ミスや安全配慮が不十分で、骨折・死亡などの重大な事故が発生した場合、本人・家族から損害賠償請求(民事責任)を受ける可能性があるほか、死亡など重大事故の場合、介護スタッフ個人が業務上過失致死などの刑事罰や、介護福祉士の資格停止・取消などの行政罰を受ける可能性もある。
安心して介護の世界で働くには、「介護サービスの責任の範囲はどこまでか」「どのような場合に責任を問われるのか」を理解して、働く必要がある。
この二つを合わせて、介護リスクマネジメントと呼ぶ。
しかし、残念ながら、その対策は大きく遅れている。
介護サービス事業者と高齢者・家族との間で、事故リスクやその責任に対する意識が大きく乖離しているからだ。
「自宅にいても事故は起きる」ということは事実だが、そこで止まってしまえば「介護の専門性」は育たない。「サービス提供中に発生した事故はすべて介護労働者の責任なのか…」といえば、もちろんそうではないし、逆に「直接の介護中の事故でなければ責任はない」というものでもない。
老人ホームで「介護が必要になっても安心・快適」と高齢者・家族に説明しておいて、「事故やトラブルは無関係、安全とは言っていない」という言い訳が通るはずがない。「事故はゼロにできない」と言っても、実際に死亡事故が発生すれば、莫大な損害賠償やスタッフ個人が業務上過失致死に問われることになる。
「介護の仕事をする人がますますいなくなる」とどれほど騒いでも、業界内だけで憤り、傷をなめ合っていても、客観的な社会的正義は別のところにあるのだ。
高齢者介護は、契約に基づく「サービス提供責任」「安全配慮義務」の高い仕事であり、その対策は「介護サービスの根幹となる専門性の一つ」である。
この問題については、上記のコラムで連載しているが、少しずつ先が見えてきた。法的にも制度的にも問題は多いが、ようやく感情的な責任論から、介護リスクマネジメントの課題整理へと進みつつある。
介護のプロになるためには、介護リスクマネジメントの理解、その知識や技術・ノウハウの習得は不可欠である。業界全体として介護リスクマネジメントが遅れているということは、それは、今後間違いなく市場価値が上がる最先端の介護知識・技術だとも言えるのだ。
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