高齢者住宅は不動産事業であり、建物設備など住宅サービスに占める割合が大きい。ローコスト化と言えば、建築時・開設時の「イニシャルコスト」だけを求める人が多いが、長期安定経営のためには、修繕や保守費用(ランニングコスト)を含めた「ライフサイクルコスト」の検討が不可欠。
高齢者住宅開設者向け 連載 『社会価値・市場価値の高い高齢者住宅をつくる』 022
高齢者住宅は、民間の営利事業ですから、安定経営を続けるためにはコスト管理が重要です。
特に、不動産事業ですから、経営収支上、建築・設備など住宅サービスに占める割合は大きく、建築コストの管理はビジネスモデルや事業の成否に大きく影響します。そのため、コスト管理と言えば、単純に「イニシャルコストのローコスト化」をイメージする人が多いのですが、そうではありません。
ここでは、建築上のコスト管理に必要な二つの視点について整理します。
イニシャルコストとランニングコストの違い
まず一つは建築・開設にかかるイニシャルコスト(初期費用)です。
事業規模にもよりますが、高齢者住宅の開設には、数億円~十数億円という巨額の費用が必要となります。建築費は家賃・利用料設定の基礎となるものですし、低金利時代とは言え、借入金の金利・返済額は、支出の大きな割合を占めます。長期安定経営のためには、建築会社を選定し、競争入札にするなど、開設費用を抑える努力が必要です。
もう一つ、重要になるのがランニングコストです。
イニシャルコストは、「坪単価〇〇万円」「総額△億円」と比較しやすいものですが、ランニングコストはあまり注目されません。しかし、20年、30年という事業の時間軸を加えた全体のライフサイクルコストから見ると、初期の建築費のイニシャルコストはその一部、氷山の一角でしかなく、修繕費用、保守費用、水道光熱費などのランニングコスト、介護人材などの運営コストが大半を占めます。
特に、「高齢者住宅は居室と食堂は同一フロアが基本?」「大きく変わる高齢者住宅の浴室設計?」で述べたように、要介護高齢者の増加に対応できなければ、浴室や食堂の修繕に莫大な費用がかかります。また、「ユニットケアの利点と課題から見えてきたもの?」で述べたように、建物設備設計によって、介護システムの効率性、必要介護スタッフ数の人数は全く変わってきます。
その他、建築材料や設備の詳細検討も重要です。
介護保険制度以降、この20年の間に、高齢者住宅や介護保険施設向けの建築材料、福祉機器、福祉用具などは日進月歩で進化しています。エレベーターや入浴設備、緊急コールなど、目に付くものだけでなく、転倒時の衝撃を吸収する床材や、防臭効果のある壁クロスなどもあります。インフルエンザなどの感染対策には、空調設備も重要で、加湿機能のある空調設備も、壁掛型、据置型によってメンテナンスの方法や手間も変わってきます。高齢者が見えやすい照明の明るさや色の検討も、転倒事故に影響します。
設備や備品の選択は、可変性や汎用性とも関係しています。
バリアフリーと言っても、それぞれの自宅で使いやすいものと、高齢者住宅で使いやすいものは基本的に違いますし、福祉機器展などで入浴設備や介護リフトの説明を受け、「この入浴機器はあの高齢者にピッタリだ」と思っても、実際には対象者が限定され、購入してもほとんど使わないというものもあります。
高齢者住宅経営に詳細な長期修繕計画は不可欠
ランニングコストの中で、重要なポイントとなるのが、長期修繕費用の検討です。
建物や設備は開設時が最高の状態で、年月が経つにつれて必ず劣化していくものです。トイレや入浴設備費等の最新設備でも、毎年次々と新しく高機能のものが発売されますし、白く美しい外壁も、汚れやひび割れが目立つようになります。不動産としての建物・設備の価値が、経年劣化によって下がっていくということは避けられません。
一般の分譲マンション等の場合、誰かが先に住んでいた場合は、又は竣工から1年以上が経過した場合「中古物件」として価格が下がります。これに対し、有料老人ホームは、同じ民間の不動産・住宅商品でありながら、その流通や価格設定において「中古」という概念がありません。これは、特別養護老人ホーム等の福祉施設と同様に考えているからで、入居一時金900万円、月額利用料25万円という金額設定のものは、10年、15年経っても、最初に入居する高齢者も、4番目に入居する高齢者も同じ価格で契約されることが前提で、収支計画が立てられています。
高齢者住宅事業の性格上、一般住宅の「中古」という価格設定は、そぐわないかもしれません。ただ、建物・設備が古くなることによって、新規物件との競争力がなくなるということは事実です。その問題点を解決し、当初の入居一時金・利用料を維持しつづけるためには、定期的な点検修理を行い、その資産価値・商品価値を維持し続けなればなりません。
モデル検討の中で、長期修繕計画を策定するにあたって、必要と考えられる修繕箇所を、建物・設備に分けて洗い出したものが次の表です。
この修繕費用は、他の人件費や管理費等のいったコストとは違い、毎年、継続的に同程度の費用が必要となるものではありません。10年、15年と年月が経過するにつれて、必要な修繕箇所は多くなり、高額なものとなっていきます。特に、開設後15年~20年目前後には、給水管・給湯設備、電気設備等の修繕の他、居室内部のエアコンや洗面ユニット、便器等の入れ替えが必要となるため、その修繕金額は、開設時の工事費用の20%から30%が必要となり、一気に数億円単位となる可能性もあります。
適正な時期に適正な修繕が行われなければ、建物全体の劣化が進み、修繕に多額の費用が必要になります。雨水の浸水を放置した場合、建物の骨格となる鉄筋が腐食するなど建物の耐久性にも影響することになります。計画的に修繕が行わなければ、有料老人ホーム等、高齢者住宅の価値は下がり続けます。また、毎年の収支が安定していても、適正に修繕計画が立てられていなければ、『大規模修繕』によって収支が一気に悪化することになります。
この大規模修繕の問題は、30年、40年前に建てられた分譲マンションや賃貸アパートでも発生しており、修繕積立金の不足によって修繕ができず、手すりが腐食する等、大きな社会問題となっています。十数年後には、間違いなく、多くの高齢者住宅で同じ問題がでてくるでしょう。
特に、高齢者住宅の場合、修繕責任は事業者にありますし、それは「商品価値の低下」だけでなく、「安全性の低下」に直結します。この修繕費用は「壊れたときに直すための費用」ではなく、「必要になったら考える」といった種類のものでもありません。また、地震などの特別な要素がない限り「ある日突然発生する」というものでもありません。
この修繕計画は、事業計画の中で詳細に検討・算定しなければならない必要不可欠なコストなのですが、長期事業計画の中に、詳細な修繕計画を策定しているところはそう多くはありません。それでは、長期計画の意味がないのです。
以上、二つのポイントを挙げました。
長期安定経営を基礎とした建築・設計を行うためには、一般の賃貸マンションのような、「建築効率」や「レンタブル比」の向上ではなく、「坪単価をいかに抑えるか」でもなく、生活支援サービスの運営コストと、長期修繕を含めたランニングコストの両方の視点が不可欠なのです。その上で、「安全性、安定性、可変性、汎用性、効率性」から必要な機能を見極め、その上で、「価値・機能を高めながらコストを抑える」「長期的に資産価値を維持し続ける」という、VE(バリューエンジニアリング)の視点が必要になるのです。
要介護高齢者住宅の商品設計 ~建物設備設計の鉄則~
⇒ 高齢者住宅 建物設備設計の基礎となる5つの視点
⇒ 「安心・快適」の基礎は火災・災害への安全性の確保
⇒ 建物設備設計の工夫で事故は確実に減らすことかできる
⇒ 高齢者住宅設計に不可欠な「可変性」「汎用性」の視点
⇒ 要介護高齢者住宅は「居室」「食堂」は同一フロアが鉄則
⇒ 大きく変わる高齢者住宅の浴室脱衣室設計・入浴設備
⇒ ユニットケアの利点と課題から見えてきた高齢者住宅設計
⇒ 長期安定経営に不可欠なローコスト化と修繕対策の検討
⇒ 高齢者住宅事業の成否のカギを握る「設計事務所」の選択
要介護高齢者住宅の基本設計 ~介護システム設計の鉄則~
⇒ 「特定施設の指定配置基準=基本介護システム」という誤解
⇒ 区分支給限度額方式では、介護システムは構築できない
⇒ 現行制度継続を前提にして介護システムを構築してはいけない
⇒ 運営中の高齢者住宅「介護システムの脆弱性」を指摘する
⇒ 重度要介護高齢者に対応できる介護システム 4つの鉄則
⇒ 介護システム構築 ツールとしての特定施設入居者生活介護
⇒ 要介護高齢者住宅 基本介護システムのモデルは二種類
⇒ 高齢者住宅では対応できない「非対象」高齢者を理解する
⇒ 要介護高齢者住宅の介護システム 構築から運用への視点
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